分類したがる人間

分類したがる人間

わたしは音楽を聴くことが趣味で、リラックスしたい時に好きな音楽を聴く。

そんなとき、大体好きな音楽のメロディーに身を任せて歌詞なんてそっちのけで全く読んでいない。

ただ、最近、すごい上手いことを言うなぁという歌詞に出くわした。それは、SEKAI NO OWARIというアーティストのHabbitという歌の中の、「君たちったら何でもかんでも分類、区別、ジャンル分けしたがる」ってところ。

うわーーー、この言葉、深い。

わたしが常に感じてる世の中に対するモヤモヤをよく表してくれている気がする。もしかしたら歌詞の作者とわたしの思いは少しちがうかもしれないけれど、つまりさ、「上辺で人を判断するな」ってことなのよね。

人間平等だと学校で習うから、人間みな平等でありたいと願いながら生きるじゃない。

でもさ、人は、無意識のうちに人を決めつけちゃうんだよね。だからさ、平等でありたい、普通でありたいと願う自分はたまに傷ついてたんだ。

学校のテストの点数が常に高いとさ、「〜ちゃんは頭いいからいいよね〜」だとかさ

子育てとの両立のためにフリーランスを選んでるのに「フリーランスって稼げるの?」だとかさ

派遣社員だというだけで「派遣だから」という線引きの目で何かを低く見られたりさ

まぁ、学校のテスト点数が常に高くても、フリーランスでも、派遣社員でも、正社員でも、どんな分類にいても、わたしという人間は変わらないしさ、人と人とのコミュニケーションの中で求めてるのってそういう分類じゃなくてさ、私という人間の人間性を見てほしいって思うわけ。

でも、その外側の分類だけで、人って態度が変わるし、見方も変わるし、扱いも変わる。

それがわたしのモヤモヤの原因だったんだけど、この歌を聞いたらさ、「あ、そうか。そもそも人間は分類したがる生き物なんだ」って、なぜか腑に落ちてさ。

現代は、士農工商みたいな身分制度はないかもしれない。

でも、明らかに、人は分類したがってるし、分類して他人を見てる。

それは、わたしだって、無意識にも、意識的にも、してしまってる。

だから、まずは。それが人間の本能だと理解して許そう。

誰だって、分類しようとしちゃうし、分類してみたい。

でも、それが、見えない心の線引きみたいになって悲しみを生むってことも、忘れちゃいけない。

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