最後の保育園

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ここところ、1ヶ月くらい保育園に行っていなかった。今日も保育園に娘を行かせずに頑張ろうかとも思ったが、先週の不遇の事故による影響で、週明け締め切りの英訳案件の進捗がよくなかったため、今日は思い切って娘を保育園に預けることにした。

娘が機嫌が悪くなるのは、ほぼ分かってはいた。ベビーカーも最近あまり好きではないので、抱っこして保育園まで歩いて行くことにした。いつものイオンを通り過ぎたあたりから、娘も今日は保育園に行くと気付いたらしい。「いやだ!」とはっきり言った。「おかいものいく!」と。「今日で、みんなと遊ぶのは、最後 、だよ。」と言うと、娘は「さいご」の意味を考えるかのように、少しだまって何かを考えて、また「いやだ!」というようなことを言った。

保育園に近づいたなり、逃げようとして、ドアの方に向かう。保育園の先生にわたしは挨拶をして、娘を預けて、保育園を出る。もちろん、娘は顔をシワクシャにして大泣きだ。

わたしは、もう何も考えないようにして、家に向かう。

できる限り、今の案件を今日は進めよう。

そう思って翻訳作業をはじめるも、ここのところの疲れも溜まっていたのか、やはり眠くなる。少しソファーに横になって、結局それなりに寝て、また翻訳作業して、残り物のカレーを食べながら翻訳作業を続けて、また眠くなって、ソファーに横になって、またそれなりに寝て、翻訳作業を再開して、夕方になった。

今日で最後の保育園になる可能性が高いのだ。ここまできたら、1時間や2時間遅くなったところで、あまり変わらない気がしてきて、イオンで所用を済まして、18時半の今、スターバックスで、こうやってブログを更新している。

今日はこのあと、娘を迎えに行って、イオンの中のポポラマーマでパスタにしようかな。

それにしても、なんだか泣きたい。

この1年くらいか、自分の都合で娘を不定期に保育園に行かせたこと、いいこともいっぱいあったけど、不定期さの問題で娘が保育園に慣れることが出来なかったという点で、反省するところがあって、第2子が産まれたあとで、仕事をきちんと再開するなら、定期的に幼稚園や保育園に行くリズムを作ってあげられるよう、これからの仕事について考える必要があると感じる。

正直なところを言えば、最近の娘とののんびり生活は、幸せで楽しい。娘は、なぜか今までよりもわたしを慕ってくれて甘えてくれる。大変だけど、可愛くて仕方がないのだ。第2子が産まれても、こういう生活を続けるのも、それはそれでいいなとも思う。いや、やっぱり、そんなに仕事の世界に戻ることを急くのは辞めようじゃないか、この幸せな生活を続けようじゃないか、とも思うのだ。

でも、その一方で、わたしが送りたかった人生というのは、そういうものだったのか?という疑問もある。

今まで積み重ねてきたものは、どこに行ったのだ?

変なプライドと一緒に、今まで蓄積してきたものも、全て捨て去ってリセットしてもよいものなのか?

本当に自分が送りたい人生っていうのは、どんなだった?

よく分からない。

仕事への熱意が蘇るときもあるが、ここのところは、のんびり生活に慣れすぎてきた自分もいる。

もう18時半を過ぎてしまった。

考えがまとまらないままだが、娘を迎えに行かなければ。

追記:
保育園につくと、元気な娘の声が聞こえてきた。おやつのおかわりをしていたようだ。先生に「ママきたよ〜」と言われると、走っておかあさんのほうに向かってきて、「みんな、たのしかた!みんなたのしかた!」と言った。みんなと一緒に遊べて楽しかった、という意味だ。楽しそうな娘の姿を見れて安心して、なぜか溢れてきた涙をとめることが出来なかった。子どもは、自分が思っている以上に、強くもあった。

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