年収1000万の夢

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正直なところを告白すると、会社を辞めて翻訳者になろうと思ったのは、翻訳者は年収1000万も夢じゃないという話を聞いたのがひとつの理由だ。会社で頑張った内容が思うように評価されなかったので、「クソッ!!独り立ちして1000万稼いでやる!!」と思ったのがIT翻訳者を目指した動機である(そもそもの動機が不純だったとも言えるかもしれない)。今思えば、社会は、自分が頑張ったからって単純に評価されるような仕組みになっていないのは、明白なのだが。あの頃は、それが許せなかった。

一時期、翻訳をこのまま続けるかどうか迷っていたときは、迷っていた理由は、正直なところを言うと、「このままやってても1000万円は夢の彼方だな」と思ったからだ。つまり、在宅で仕事をしていても成長が感じられない=単価が上がらない気がする=年収1000万円は到底無理、と感じていたのも、続けるか迷っていた理由のひとつだ。もちろん、在宅で働いているはずが、子ども預けているのに昼寝している自分とかも嫌になったもあるんだが。

最近、翻訳者の方々のブログやコミュニティでの会話から、年収1000万円は、結構現実的な数字なんだなと思った。またそれとは別に、わたしの単価も、わたしの翻訳環境を取り巻く環境の変化によって上がってきており、前よりは、今の仕事を続けようという気持ちがある。

ただ、ふと、年収1000万円というものが、自分が本当に求めていることなのか、本当にそれが夢なのか、疑問に思うことがある。年収1000万円なんて、単なる数字的な事実じゃないか(もちろん相当の努力は必要なことが明らかな数値だが)。それを目標にしていいのか。

自分の仕事を通じて、どんな価値を世の中に提供していきたいのか、または提供できるのか、または提供するにはどうしたらいいのか、そういうことを考えることが必要なのではないかと思うのだ。

もちろん、仕事をする以上、金額の目標はある程度必要だろう。

でも、それだけではないだろう。

世界に名だたる企業について考えると、それらの企業はもちろん金額目標はあるだろうが、それは内部的な話であって(会計情報として開示しなければならないものはあるとは思うが)、あくまで、その企業の存在価値は、顧客にどんな価値を提供するかである。

リッツカールトンが、自分たちのサービスは高額であることを表立って言うだろうか。あくまで、リッツカールトンは、彼らの提供するサービス価値を上げていくということに注力しており、お金はそれについてくるものという感覚なのではないか。むしろ、お金がついてくることさえ、考えていないかもしれない。

というわけで、『リッツ・カールトンが大切にする サービスを超える瞬間』という本をポチってみました。

とはいえ、年収1000万円は、正直なところ、夢は夢ですし、夢を叶えるための努力もしたいと思いますし、お金があれば行ってみたいところも、食べてみたいものもいっぱいあります(ただ、その夢を叶えてしまうと、何かしあわせを感じる感覚が鈍くなるかもしれない…と思ってしまうのは、結局のところ、わたしは貧乏性だからでしょうか)。

はい、今日は長女は預かり保育、次女は保育園に夕方まで行っており、わたしは翻訳に没頭する日なのですが、息抜きに年収1000万円の夢について語ってみました。

さ、今日はお客様に翻訳の進捗状況を報告する日。ブログなんか書いてないで、翻訳進めなきゃ。

最後は、ここのところアップしていなかったお弁当たちの写真でも。