娘たちとの日々

NO IMAGE

それにしても、最近、子どもが可愛くて仕方がない。子ども同士が遊んでくれるから、それを放っておくこともできるようになって、楽になったのもあるだろうし、週のほんの少しでも子どもを離れて仕事をする時間があるから、気持ちに余裕が出てきたのもあるだろう。

前回の投稿で結婚から出産育児まで、流れでここまでたどり着いた…というようなことを書いたが、これが望まないことだったと言ったら罰があたりそうである。いや、もちろん望んで生んだ子どもたちではあるのだけど、まさか、ここまで可愛いと思うとは思わなかった。

そして、1年前の自分のブログを読み返すと、まだ長女は幼稚園に行く前の頃。子どもと1日中一緒にいることに辛さを感じていたあの頃。その頃のことを思い出すと、胸が締め付けられる。なぜ、わたしは、そこまで逃げ出したかったのか、あの日常から。

2015年の終わりが近づくにつれ、来年のことを考え始める自分。来年は、長女は年中さん、次女は今の保育園に通う一年だろう。そして、ふと考えると、再来年は、もう次女は満3歳児で長女と半年ほど幼稚園に一緒に通っているかもしれない、と思うと、今の生活もあと1年半後には終わるんだなと思う。

最近、自分の生きる意味について考えることがある。わたしは、何のために子育てと仕事をやっているのか。仕事をどれくらい増やしていくべきか考え始めると、それと引き換えに失う子どもとの時間があることにも思いを巡らす。でも、お金があれば、子どもたちと一緒に叶えたい夢もあったりする。

仕事を増やせばお金が増える。どこまでお金を増やすべきだろうか。どれくらい、自分の夢をかなえるのに、お金って必要なんだろうか。

そんなことを考えたりするのだが、思考を重ねた結果、お金のことを考えていても、何も生まれないのではないかとも思えてくる。わたしは、仕事を通して何をしたいのか、世の中にどう役立ちたいのか、そして、子育てを通して子どもたちに何を教えたいのか、子どもたちとどのような日常を送りたいのか、そういうことを考えることが、結局、しあわせへの近道な気がした。

そして、自分が描いた夢の方向へ、地道に努力をしながら向かっていく。

それしかないよねと思った。

今日は公園に娘たちと行った。最近、長女と次女が一緒に遊んでくれることが多くなってきて、お母さんは嬉しい。子どもたちが仲がよいところを見るのは、親としてはとても嬉しいことである(自分は楽だから、という理由もあるんだろうが)。

何度も楽しそうに滑っていた滑り台。

帰りは、次女はベビーカーに乗った途端、スヤスヤ。長女と公園から歩いて行けるコンビニに行って、アイスを買って帰った。最近、車や自転車で出かけることが多く、一緒に歩いたのは久しぶりだったのだが、長女のおしゃべりが昔よりも成長しているのを感じたし、けっこうな距離を抱っこ!とも言わずに、おしゃべりしながら楽しそうに歩く長女にまた成長を感じた。

日に日に成長を感じてはいるのだが、やはり、こうやって久しぶりにお散歩してみると、また違う視点で成長を感じたりもできるものだ。

可愛い娘たちとの日々。終わらなければいいのに。ずっと、このまま可愛い娘たちでいてくれたらいいのに。

でも、それは人間が時の中で生きていく限り無理な話であって。

どんなにしあわせな時でも、どんなに辛い時でも、前に進まなければいけないのが、人生というものであって。

そして、思うのだが、昔の、しあわせなことも、辛いことも、意外と忘れていたりする。だから、わたしはたまに昔の自分のブログを読み返す。そして、今日も、こうやって、日常を記録して、公開する。

娘たちとのしあわせな日常を残したくて。