時給

時給

先日、採用に至った求人だが、また早い決断だが今回は辞退しようかなという方向で考えてはじめている。条件としては非常によかった。仕事の内容も面白そうだし、子育てとも両立しやすそうな職場だった。ただ唯一、時給が自分の希望よりも低かったことが気になっていた。はじめは、そんなこと問題ないと思っていた。最悪、保育費でトントンで利益がなくても、やりたい仕事で、自分の経験がつめればよいのかなと思っていた。ただ、時給が低かったことが気になるという話を旦那さまにしたら、怒られた。簡単に言えば、「なぜそこで闘わないのか!」ということだった。

わたしは極端に自己評価が高かったり、低かったりすることがあるのだが、結局は自分に自信がないので、人からそう言われれば「あ、自分ってそんな感じなんですね」とあっさり受け入れてしまうところがある。そして、あとで自分の中で悶々とした何かを抱えるのである。旦那さまはそういう悶々の雰囲気を感じ取ったのだと思う。簡単に言えば「そんなんでいいのか!」と言われたような感じだ。

それで、冷静に、真剣に、夜も眠れず(ちょっと寝たけど)、胃が痛くなるほど考えた。そして、長女を幼稚園、次女を保育園に送り届けたあと、わたしは闘うことにした。闘うといっても、感情的に怒るなんてことでは全くなく、限りなく論理的に、長期的な視野をもってこちらの率直な意見を電話で述べて相談させてもらった感じだ。

そこで色々相談させてもらって思った。時給が低い、もしくは上がる可能性があまりないというのは、結局のところ、求められるものが少ないということだ。つまり、それはどういうことかというと、自分がいくら頑張って成果を上げても、そこまでは求められないので、時給以上の働きは単なるボランティアみたいになるということだ。

ものすごくやりたい仕事で、まだまだ自分が若かったら挑戦していたかもしれない。でも、わたしももう30代に突入し、子どもも2人いる。これから子どもの教育費なども生活費の中から捻出するか、わたしも稼いで貯めなければならない。ボランティアみたいなことをしている場合ではないのだ。何よりも、頑張っても金銭的に満足のいく報酬が得られないという状況は、間違いなく、自分のストレスになる。

そんなわけで、その他の条件は子育てしながらの仕事としては素晴らしくよかったのだが、時給が低い、それだけの理由で今回は辞退しようかと考えている。あれだけ、外で働きたい働きたいと言っていたのに、結局は金かよ!という声も聞こえてきそうな気がしたが、やはり、お金は大切なんだと今回思った。昔、好き勝手に生きてきた頃よりもずっと大切になっている。

在宅の翻訳の仕事にも少しずつではあるがやりがいも感じるときがあるのも、またひとつの理由かもしれない。あと、なんだかんだいって、在宅は通勤時間もないし、お昼ごはんを食べながらも仕事できるし、結局のところ、コスパが非常によいことも改めて感じた。

でも、もう少し外で働きたい願望はまだ沸々としているのも感じている。今回の求人応募で、時給もかなり重要な要素なんだなと自分で改めて認識したことはよかったのかもしれない。せっかくIT教育界に足を踏み入れそうだったのに、こんなにもあっさりと引き下がってしまうのかとも思うのだが、まだまだ人生長いので、ひょっこり顔を出せる機会はあるはずだと思っている。

今日の長女のお弁当。

そうそう、今日は長女が夜ご飯を全然食べないので、本当に厳しく叱りました。自分でも、仕事がうまく見つからないイライラから怒ってしまっているのではと若干心配になりましたし、もしかしたらそれはゼロではないのかもしれないとも思うんだけど、言いたかったのは、「毎日長女が美味しく食べてくれるようにメニューを考えたりしているのに、お菓子は食べるくせに、ごはんは『おいしくない!たべない!』と言われたらお母さんは悲しい」ってことでした。

さ、翻訳会社から頂いた小さな翻訳案件をこれからやります。それが終わったら、大型翻訳案件の第2フェーズも進めなければ。

そうそう。明日は、次女を連れてお出かけです♪今週最後の楽しみ♪

ではでは!