コロナ禍を抜けたママ飲み会からの、中学受験についての思考の整理。

コロナに対する感覚というのは人それぞれ違うだろうけど、少しずつ、コロナ禍を抜けている感じがしている。
この週末はマンションのお友達家族と飲み会が開催された。コロナ禍には自粛していた会がついに開催できた感覚だ。
気づけば子どもも大きくなってきていて、下の子が小学生に上がったあとの開催となった。
楽をしたいママたちの要望により、食事は、近所のピザやら中華を持ち帰って、あとは美味しい刺身でも食べようか、という気楽な会であった。

飲み会というのはあり過ぎると面倒だが、たまにある分には、普段得られない話を聞けたりするので、非常に有用である。
いや何より、お酒を飲みながら自由に気ままにおしゃべりできる場というのは、人間の楽しみのひとつだと感じる。

上の子が5年生になると、やはり中学受験の話も親としては興味関心が高くなるわけなので、腹の探り合いにならない程度に、さらっと相手の状況を聞いてみたりして。
そうして周りの人の話を聞きながら我が子の向かうべき方向を、母としては模索しているわけであるが
そもそも、自分の人生じゃないので、どこまで母が関わるべきかは未知数であり
関わろうとすればするほど子どもにウザがられて喧嘩になる悪循環も発生するというジレンマにある中、
中学受験を頑張る人の話を聞いて我が子も頑張らせようか考えてみるが
人の話を聞いても、中学受験のために塾に通うことにあまり魅力を感じないのは、なぜだろう。
もう既に時遅しだからなのかもしれないし、長女は、もう頑張りすぎるほどに水泳にZ会にと頑張ってくれているから、これ以上頑張らせる気が起きないのもあるかもしれない。
あとは野となれ山となれ、という気分なのだが、これで、わたしは後で後悔するだろうか。
子どもは大人になって「もっと勉強すればよかった」と後悔するだろうか。
そういうことを、心を無にして、未来を見つめている今である。


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