英語を勉強する意味について

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英語は学生時代に好きになった。猛勉強は特にしなかったし、挫折したこともあるけれど、会社を辞めてからは、翻訳という仕事を目指し、仕事を獲得しながら、あらゆる方法で英語に触れる努力をしてきた。

それでもなお、一度聞いたり読んだりしただけでは、まだ意味が取れない英語が多くあり、まだまだ勉強が必要だと実感するのであるが、最近、時々、なぜそんなに英語を勉強してるのかと思う時がある。

旦那さんは、特に英語なんて勉強していないのに、アメリカ出張を何回もしていている一方で、わたしは、子どもが生まれる前からアメリカに行きたいと言っているのに、アメリカには一度も行ったことがない。ただただ、英語の勉強をしながら、アメリカの知識だけが増えていっている気がするだけだ。

旦那さんを見ていて思うのだが、英語なんてある程度できれば、あとは自分が深く理解する専門分野があれば、それなりになんとかなるわけで、なんとかなればよいレベルであれば、別に英語の勉強なんて大して必要ないのだ。むしろ、時事ニュースや専門分野の知識があることのほうが重要である。

しかし、英語を武器として仕事をする道を選んだのであれば、やはり、英語は勉強しなければならない。なぜなら、翻訳であれ、通訳であれ、その言葉の発信者になりきるレベルで言葉を理解し操らなければならないとなると、背景知識だけではない「言葉のニュアンス」をとらえる必要があり、それには、日々の「言葉の勉強」が不可欠だからだ。

英語を勉強すること、それは、英語という言葉を使用する人の頭の中を理解することである。

英語を日々勉強していると、世界の中の日本の位置付けが見えてくるように感じるときがある。そして、自分は日本人であることも改めて認識したりもする。

もし、日本が、日本国内だけで全てを完結して生活が成り立ち、それで国民全員が幸せであるならば、英語なんて必要ない。

しかし、日本の生活は、世界の国々との密接な関わり合いがあって成り立っている。もちろん、世界には多様な言語があり、英語にこだわることはないが、現時点では、英語が地球上の公用語としての位置付けにあると考えると、英語を勉強することは、日本の役にも立つだろう。

そして、今日もわたしは英語の勉強に勤しみます。ニュースでは北朝鮮情勢がとりあえず気になります。通信教育では、資本主義と共産主義の世界や、市場経済について考えさせられています。

この週末は、旦那さんの実家に帰っていました。旦那さんに子どもを預けて、ぷらっと京都の祇園付近をひとりで散策して絶品パスタでランチして、ベルギービール飲んで、自分の進むべき方向についての思考をまとめたりしてました。

さてと。また今日から頑張ります。