黄色い雪

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駅を降りたらあたり一面雪景色。

銀杏のね。

さてこれから夜までギターの練習。がんばるぞーぉ!!

そう、今日は銀杏並木が綺麗だった。一面に敷き詰められた銀杏。そこを足早に通り過ぎて練習場に向かって。練習して。そして、また銀杏並木を通って帰りました。

そんな、今日、帰ってきてわたしが考えていることは

『鈍感は罪である』

そんなこと。

いつか大学何年生かのときに、テレビかなんかでこの言葉を聞いた。どこかの野球球団の監督の言葉だったと思う。『鈍感は罪である』という言葉。

その人が一体どういう意味でこの言葉を使ったのか、今となってはわたしには分からないが、わたしは今この言葉について、またはこの言葉に関係することについて、思いを巡らせている。

鈍感は罪である。

その言葉は、けっこう衝撃的だった。

鈍感であることは罪だと。人の気持ちに鈍感であることは罪だと。そういうことだとわたしは解釈した。

大学に入った頃ってみんなそうだと思うけど、何かと色々感じて考えていた。入学して、始めの頃の銀杏の木には、小さな葉がついていた。見上げると見える空と、四方に伸びている銀杏の枝と、その枝についている葉は絵に描いたようにはっきりとわたしの心に突き刺さって、何かを敏感に感じようとしていた。

大学に入った頃って、初めての友達ばかりである。当たり前だけど。持ち上がりで大学に入って友達が元々いる人たちもいたけれど、大体はみんな初対面。生まれてから小学中学高校と別々の道を歩んできた人と、同じクラスになったり同じサークルになったりして、会話を交わす。

その居心地の悪さと言ったらなかった。

長く一緒に過ごしてきた人なら、ツーとカーで通じることも、初対面では通じない。全くの手探りで、相手のことを理解しなくてはいけない。そして始めっから理解など出来るはずもない。

だから、わたしは神経を張り詰めていた。

相手はどんな人なんだろう・・・
どんな風に感じて
どんな風に考えているんだろう・・・

そういうことに敏感でありたいと思っていた。なぜなら、そうやって、相手を理解していくことで、交わす言葉も変わってくるし、よい関係が築けるとわたしは思っていたからだ。

そんな大学生活を送っているときにテレビから流れた『鈍感は罪である』という言葉は、非常に心にグサリときたのだった。それは、鈍感であることで相手の気持ちを害してしまうことが罪だ、と、そうわたしには聞こえたからである。

でも実際、鈍感にならないでいることっていうのは難しい。始めは相手のことが実際分からないから、鈍感にならざるをえないし、分かってきたところで、今度は敏感にいようっていう緊張がなくなって、相手の気持ちに鈍感になってしまうこともある。

しかも、人間関係において、よっぽどの間違いとか過ちがあった場合は、キチンと謝らなくてはいけないと思うから、キチンと「ごめんなさい」と修復することができる。でも、ほんの些細なことだったり、曖昧なことだったりすると、相手は気分を害しているのだろう・・・かもしれない・・・けど、「ごめんなさい」と言う機会を逃したり、言うことなのか分からないってことがあると、わたしは思う。

そして、そうすると、お互いの間に何か「言いそびれたごめんなさい」みたいのがたまっていく気がするんだけど、どうなんだろうか。

で、つまり、今日ギター練習でみんなとしゃべってて、どうも強い言い方をしちゃったりとかで、あ・・・今のちょっと気を悪くしたかも・・・とか思ったことがあって、でも「ごめん今の言い方悪かった」って言いそびれたことが何回かあるなぁとか思ってさ。でも、何ごともなかったかのように、また普通に会話するんだけど、どうなんだろうって思ったの。

ちょっと「ム!」って思っても、忘れてしまうのかもしれないけど。

鈍感は罪である。

その言葉、肝に銘じて、相手の気持ちに敏感になって言葉をかけることのできる人間になりたいと思ったのでした。

そんなことを、今日は考えました。

じゃおやすみなさい。