翻訳者になれた人。

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巷で話題になっている通訳翻訳ジャーナルの「通訳者・翻訳者になれる人、なれない人」。気になってはいつつも、雑誌の購入まで至っていませんでしたが、先日、サイマル・アカデミーの無料セミナーで通訳者・翻訳者のお話を聞く機会があって、そこで通訳者・翻訳者の適性の話があり、その話を聞いて、自分はどっちにも当てはまるところがあるなぁと思ったところから、「実際、自分って、通訳者と翻訳者のどちらに適性があるんだろう?」ということが、さらに気になり始めたので、ついにポチりました。

正直、適性があるとかないとか、外部的なものさしで測ったとしても、その結果が悪かったからといってなれないわけでもないと思うし、よかったからってなれるわけでもないとは思っていたんです。ただ、適性があるかどうかっていうのは、その人がその仕事を「気持ちよくできるか」というところに繋がるんじゃないかなとは思いました。つまり、適性がないのに、その仕事ができたとしても、その人は本当は楽しくないわけだから、しあわせじゃないというか。

さて、その適性チェックリストのわたしの結果は、通訳者21個、翻訳者14個でした。なるほど、この適性チェックによると、どちらも、売れっ子にはなれない感じです。でも、この結果を見て、自分は機会と実力さえあれば、通訳の仕事があると、楽しい人生が送れるような気がしました。仕事の割合も、21:14、つまり3:2くらいだと自分的にはちょうどいいのかも(適性チェックリの結果を過信しすぎかもしれませんが)。

他の部分も読んでみると、やはり、通訳のお仕事を受けるためには、少なくともTOEIC900点は必要そうなので、まずはそこはクリアしたいところだなと思いました。それから、通訳学校に通うのもよし、もしくは未経験も受け入れてくれる会社に登録してみるのもよし、なんらかの新たな行動を起こせば、何か新しい動きがあるかもしれないと思えます。

しかし、翻訳者のほうも、今後捨てるわけでもありません。翻訳という仕事が嫌いなわけではないんです。むしろ、好きな時もあります。特に、内容が自分にとって面白いと思えることなら、楽しさすら感じます(つまりは、そうではない時もあるってことなんだけど。でも、どんな仕事でもそうか)。言葉に対する拘りだってあります(でも、急になくなるときもあるんですが)。

何よりも、通訳者になろうとすることには正直本当に適性があるのか(特に精神面でのストレスに耐えられるのか、モノマネは下手だけど大丈夫だろうか、相手の英語が聞き取れなかったらどうしよう、などの)若干の不安がありますが、翻訳者にはもう「なれた人」なんです。適性があろうが、なかろうが、関係ない。やればやるだけ、成果を出しやすいのは、現実的には翻訳のほうな気もしています。

うん。このウダウダ感。まとまりがない感。でも、文字に起こすことは嫌いじゃない。いや、好きでしょ、こんだけブログ更新できてるんだから。こんなんなので、翻訳者の適性チェックリストの「よくメールやブログ記事を書いたり書き物をしている」と「手書きするよりキーボードで打つ方が速い」には、自信をもってチェックつけましたとも。ええ(さらには、このダラダラ文章によって「要点がつかめない仕事ができない人」ということもブログで暴露していることにもなる気がしてはいますが。あ、仕事では、めちゃめちゃ簡潔ですよ、わたし)。

さてと。今日は新しい翻訳会社のスタイルガイドをもう少し読んでから、今日は寝ようと思います。でわ。