母の寂しさ

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今日は、本当は朝から長女の幼児サークルがあったんだけど、いつも起きたなり「あめたべたい!」という長女が何も言わず、朝ごはんのチーズパンもあまり食べず、わたしが「どうしたの?おなかいたい?きもちわるい?あたまいたい?ねむい?」と聞くと、「ねむい?」のところだけに頷いて、ソファーで寝てしまった。熱は今のところ出てないんだけど、これから出るかもしれない。

数日前に旦那さまも少し体がだるかったらしいし、わたしも娘2人もここのところ鼻水出てるし、昨日は娘2人は病院に行って薬をもらってきたんだけど、とにかく今日はゆっくりしたほうがいいみたい。

長女がソファーで寝て、次女が授乳後にわたしの腕の中で寝ている間に、最近わたしがどハマりしているアグリーベティを見た。今回のは、また泣けた。

何が泣けたって、母の寂しさを描いていたところ。子どもはいつかは巣立っていく、その寂しさって、なんとなく分かっていたつもりだけど、きっとまだまだ分かっていなかったんだと思う。ドラマの中で、子どもが巣立っていく母が「子どもと水入らずの時間が欲しい」って言ったところ、そこで、わたしは「そうか…母親ってそういう風に思うもんなんだ…」って思った。

わたしが結婚すると決めたとき、わたしは結婚することに舞い上がって、母の寂しさにあまり気づいてあげられなかったんだろうなと。母は、わたしが旦那さまと仲良くしているところを見ると、きっと、自分の思い出が詰まった娘を取られたような気がしたんじゃないかなって。

今更ながら、結婚を決めたとき、せめて母の前でだけでも、「お母さんのことが一番大好きだよ!」っていう態度でいれたらよかったのかも、とか考えたら、また泣けてきた。たとえ、そのときは旦那さまのことしか見えてなかったとしても、母を思いやる気持ちをあと少しでも持てていたなら、もう少し何かが違ったんじゃないかなとか。

そんなことを考えながらブログを更新していたら、長女がソファーから目を覚まして「とうさんは?」と言って起き出した。次女も眠そうに目をこすりながら腕の中でモゾモゾしている。

思うのは、母になっても母の気持ちってまだまだ分かってないもんだなと。そして、ドラマから母の気持ちを知ったりするもんなんだなと。いや、もしかしたら、ドラマみたいな綺麗事では済まない話でもあるかもしれないんだけど。わたしはいっぱい母に迷惑かけて生きてきたから、本当にもうわたしと関わるのはもうコリゴリだと思ったのかもしれないし。人間って難しいね。