模様替え

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わたしと母はいつも擦れ違う。擦れ違うとは、擦れて違うと書く。擦れるのだ、心と心が。心の表面どうしがシュッと擦れる。そして、行き違う。つまりは別の方向へ行ってしまう。

母に文句を言うわけではないが、少し言ってしまうなら、母は愛情過多な人間なのかもしれないと思う。つまりは愛情が有り余っているのだと思う。

わたしが疲れて研修から帰ってくると、イキナリ勝手にわたしの部屋の模様替えをしていたりする。昨日もそうだった。自分の部屋に戻った瞬間、うんざりしてしまった。部屋の模様替えはまだ途中で、部屋はいつも散らかっているわたしの部屋が更に散らかっていた。しかも、わたしのお気に入りのスペースがベッドを移動させたことでなくなっている。

さすがに頭にきた。
「なんでこーいうこと勝手にすんのッ!?あーあのスペース気に入ってたのに!!ほんと最悪。あーマジ腹立つ。ほんと疲れるわぁ。ほんとやめてほしーわッ!!」

すると、母も切れた。
「あんたって人は、せっかく人があなたのためを思ってやってあげたことに対して、どうしてもっと感謝の気持ちを持てないのッ?!
あなたの友達が今度うちに来るって言ったから、もっといい部屋にならないか、って一日中わたしがあなたのためにやったことに対して、その言い方はなんなのッ!!」

「そっちが勝手にやっておいてなんであたしが責められなきゃいけないわけッ?!、しかもわたしのお気に入りのスペースはなくなってるし…あ゛~~~!!!!ほんとやめてほしいわッ。最悪。ほんと最悪」

「あーもういいわよ。友達も呼ばなくて結構。あなたの好きにすれば!!」

そして、わたしはいそいそと部屋に戻り、仕事で疲れた体に鞭を打って、移動させられたベッドをまた移動しなおす。そして、なぜか移動された細かいわたしの備品のあれこれも元に戻す。

母は、わたしのためを思ってやってくれている。それはとても有り難いことだ。わたしのお気に入りの部屋のスペースだって、昔母が勝手に模様替えして出来たものだ。有り難いことだ。本当に。

ただ、わたしのためを思ってやっていることが、たまにわたしのためになってないことがある。そういうのを、愛情過多って言うんだ、とわたしは思う。

今日の朝、まだ母は怒っていた。

母は言う。
「あなたはそうやって、損していくのよ。そうやって人の気持ちに感謝する言葉がないから、今までだって損し続けてきたのよ。これはしつけよ。あなたが損しないで、人に愛されるためのしつけ!!」

確かに、わたしは今まで言葉が悪かったり足りなかったために、よく損をしてきた。今回の部屋の模様替え事件は別にしても、結構それは痛い言葉だった。わたしは自分が今まで生んだ言葉の悲しさを思い出し、考えた。きっと、今、わたしは母に伝えなければいけない言葉があるだろうと。

「お母さんが、わたしのためを思ってやってくれる、それは本当に嬉しいんだよ。…うん、本当に。(ただ、それがたまに空回りしてるだけで。)」

この言葉で、どれほど母の心に近付けたのか分からない。ほんの少し、母の怒りはとれたようでもあったし、やはりまだ怒っているようでもあった。

人は、時に愛情過多になる。空回りする。そうだ、今、父が山口県に転勤になって、母は寂しかったのかもしれない。その寂しさが愛情過多となって、表面に出て来たのかもしれない。部屋の模様替えなんて、ものすごくエネルギーを消耗することだ。そのエネルギーはどこから来たんだろう。そう考えたとき、やっぱり母は寂しいんじゃないかって思った。

寂しさは、人を愛情過多にする。そして時にその愛情は空回りする。その空回りを止めるものは、言葉でしかないのかもしれないと、今、研修に行く朝の電車でわたしは考えている。