山月記

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先日、Facebookで誰かが『山月記』のことを書いていて、その内容が今の自分の境遇に近い気がして、急に『山月記』が読みたくなり、それが収められる『李陵・山月記』をAmazonでポチった。

わたしは、Amazonでは、だいたい古本を買う。内容が読みたいだけであって、新品である必要はないからだ。でもやっぱり、比較的綺麗な方が気持ちいいので、価格は安めで状態が良さげなものを選んでポチる。

そうしてポチった『李陵・山月記』は、思ったより古びた薄い単行本だった。しかも、中身を確認すると、読みたかった『山月記』はほんの数ページに収まる短編だった。

山月記と言えば、高校の授業で国語の先生が「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を大きく黒板に書いて熱く語っていたことを思い出す。語っていた内容はもう覚えていないが、「プライドが高すぎて身を滅ぼした話なんだなぁ。気をつけよう」ということくらいしか、心に残っていなかったように思う。

それが今回読んだら、実に泣けた。次女が保育園に行っている間に、通信教育を進めようとミスドで勉強していたときに、休憩がてら読んだのだので、涙は流さなかったが、不覚にも目が潤んでしまった。

泣けたのは旧友との再会で、虎になった主人公が心の内を打ち明けるところだ。やはり、どんな物語でも、人間が本心を見せる場面というのは泣けるものである。

ただ、この話の重要なところはそこではない。この物語の肝は、主人公がいかにして虎になり、そして人間には戻れなくなったことを悲しむところの描写を味わうところにあると思う。最後に月の出る夜に岩場から出てきて悲しみを訴えるように吼え、そして岩場に消えていく情景は、この話のエンディングでもあり、味わい深い見せ場でもあった。

会社を辞め、子どもを預けてまでして、在宅で翻訳に耽っているような生活をしているわたしにとっては、この『山月記』は非常に味わい深い話であった。ここから学ぶものがあるとすれば、「人との関わり合いを諦めるな」、「自分磨きを忘れるな」というところだろうか。

しかしこの『山月記』には、作者の作家魂を感じるものがあり、主人公は作者自身のことを書いたのではないかと思われたので、Wikipediaで作者、中島敦について調べてみると、この『山月記』はデビュー作だったそうだ。しかも、その後ほどなく33歳の若さでこの世を去ったという。

33歳。わたしも来年は33歳である。中島敦さんと歳を比べてみたところで、だから何という感じはあるが、中島敦さんの作家魂の強さとともに自分の浮かれた魂を感じるが故に、今後の自分の人生についても考えさせられた短編であった。