大変

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今日は朝からずっと長女がキネティックサンドに夢中になってくれていて、次女も今は抱っこひもで寝てくれてるので、スッキリ!見てたら、高校生の娘に3年間キャラ弁を作り続けたママの話に感動して涙が出た。

4月からわたしも週4日でお弁当作りが始まるけど、大変そうだなぁと思いつつ、娘のために頑張りたい気持ちもけっこうある。わたしが高校時代もお弁当で、わたしの母親も毎日お弁当を作ってくれていたけれど、うちの母親のお弁当は彩りとか毎日考えてくれててなんか豪華に見えたことを思い出した。

母は、「お料理は彩りが大事よ。大したもの作ってなくても、彩りがいいと華やかに見えるし、彩りがいいと栄養もバランスがよくなるからね。」って言って頑張って作ってくれていた。お弁当箱を開けると、お友達から「◯◯ちゃんちのお弁当、すごいねー」とか言ってもらえたりして、わたしは嬉しかったかと言うと、たまにお重に入った幕の内弁当みたいなときもあって、なんか恥ずかしかった。普通でいいのにな…って思ってた。

それでも、今思い出すと、お母さんが頑張ってくれたお弁当の大変さとか考えたら、すごいなぁと思うし、単純に頑張ってくれたことに感謝できてたらよかったなーって思う(と、ここまで書いてまた涙が溢れてる)。

思うんだけど、子どもが産まれて、予想外の「大変」なことっていっぱいあって、ほんとに子育てって大変だなーって思うんだけど、個人的には大変なことって悪いことではないと思う。大変な分だけ、そこには何か大切な何かがあると思ったり。

ただ、「大変すぎる」と、人間ってちょっと心の安定を保つのが難しくなることもあるから難しいのだけど。長女が2歳のときは大変過ぎて、自分も酷い人間になってた、というか、今でもたまになる時があって、もっと優しい気持ちで娘に接してあげなきゃと思う時がある。

昨日は一時保育で長女が遊んでる時にはしゃぎ過ぎてお友達の頭とゴッツンこして、長女は頬骨にタンコブができて、先生から「スミマセン!」って謝られたんだけど、わたしは自分の娘を心配するよりも先に「お友達のほうは大丈夫でした??」って聞いたのは悪くなかったとは思うけど、逆にもっと自分の娘も心配してあげればよかったなとか。

長女が大変過ぎた頃の名残で、長女にかなり冷たいあしらいをしてしまうことがあるのは、大変過ぎたのを言い訳にした自分の心の弱さなんだろうな(とか言うと、わたしが長女にいつも冷たくしてるみたいだけど、大半はかなり優しい気持ちで接するようにしてるし楽しい時もいっぱいあります!ってことも念のため補足)。

お仕事しながら子育てするのも、絶対すごい大変。

ちょうどいい大変さ…くらいが人生には必要だと思うんだけど、そのちょうどいい大変さってどれくらい?って感じで、実際には大変なことがなさ過ぎたり、大変なことがあり過ぎたり、人によって大変と感じることが違ったり…で、どれくらいが適当かなんて定義できるものでもない。

ただね、大変なことがあると、やっぱりそこから人間何かを学ぶよね。わたしは、子どもに対しての叱り方とか学んだかなーって思う。それまではけっこう放置主義だったけど、それじゃダメだなって思って色々叱り方の程度は間違えたりしたけど、やっと子どもを叱れる親になれたような気もする(まだまだまだまだ未熟者ですが)。

大変過ぎると心が荒むのは、自分の心が未熟だからであり、それは一回り大きくなるための修行の一貫なんだろうな。

それで、何が言いたいかと言うと、お弁当作り、大変そうだけど、自分の親が頑張ってくれたみたいに、わたしも頑張ろうと思って。

とか言いつつ、長女が行く幼稚園はお弁当の日もパン券とか給食券を出せばお弁当なくてもいいんだけど。お仕事が忙しい時は、それ利用しよ〜と(笑)

つまりは、自分にとってちょうどいい大変さを追求しようってことだね。人生、大変なことがなかったら、なんかちょっとつまんない。でも、大変過ぎても面白くない。色々難しいよね。でもだからこそ、生きる意味があるのかも。

なんだろ、今日のこの悟り的な感じ。

うん、今はなんも予定なくて、長女も一人で遊んでくれてて、次女も寝てるし、大変じゃなさ過ぎる時間。今日は予定ないし、自分から自発的に面白いことを探さないと、ボンヤリした得るもの少ない1日になっちゃうから頑張らないと。うん。