なんだか知らない野心

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見る度に、お店の前に行列ができている焼き鳥屋さんがあって、今度行ってみたいなと思っていたところに、今日行きました。雨が降っていたし、日曜日の夜ってこともあったのか、さくっと入れて、ビールと焼き鳥が美味しくて、会話が弾んでいた時の話。

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小学生の頃、わたしはバスケットクラブに入っていて、朝練習をしていた。けれども、いつの頃からか周りで流行りだした中学受験というものをわたしも始めていて、毎日母親と喧嘩をしながら勉強をしているうちに、バスケットの朝練習に遅刻したり、勉強はちゃんと出来ずに怒られたりして、わたしはバスケットを続けるのか、勉強をちゃんとやるのかという決断に迫られた。そのときのわたしの決断が、『勉強をする』だった。

漠然と、『あたしはこれから頭を使って生きていく』って思った。

この、ささいな決断が、今のわたしを支えている。

そんな話。

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今日はなんだか、ここに何かを話していきたくて、こうやってブログを書いています。何を話そうと考えたときに、今日、焼き鳥屋さんで話したことが話したくなったので、書き始めたら、昔の記憶なので、思い出せないところがあって、小学校の頃の日記を持ち出して、読み返してみたりしてしまいました。結局、はっきりと何かいいたい事がある!というわけではないのだけれど、漠然と、あたしは、『頭を使って生きていくんだ』という決意というか、自然と沸き起こる使命感というか、そんなものがあって、それが、今のあたしの仕事の原動力になっているなって話。

今は、中学も、高校も、大学も卒業して、一般的な勉強をする期間は終えたわけだけれど、まだまだ世の中には勉強したいことがいっぱいあります。大学を卒業するまでの勉強に意味がどうしても見出せいないことが多くあったけれど、本番はこれからだと思う自分がいる。はっきりいってしまえば、大学に出たことには、あたしにとっては全く意味はありません。ただ、大学を卒業したという結果が残るだけであって、それが、社会に出て、仕事ができるという証拠になるのかといえば、全く、『NO』です。

ただ、これまで勉強してきたものの土台を、どれだけ社会で生かせるか。

それが、今まで勉強してきた価値になると思うんです。これまでの勉強をどれだけの価値にできるのかは、自分次第。そして、これからどんなことを勉強して、それを社会に生かしていくのかも自分次第。そう思う。そして、あたしは、今までの努力を価値あるものにしたいと思う。それが、あたしの『なんだか知らない野心』になっているって話。

で、結局、どうしたいの??

って言われると、わかんない。

ただ、漠然と、野心に燃えてしまうあたしがいるって話。

そんなんじゃ駄目??

ああ。神様、あたしは、これから、どうなるのかな。

そんな風に、たまに自分が心配になってしまう、日曜日の夜でした。

おやすみなさい。