わたしがブログを書く理由
このタイトルで、たまにブログを書きたくなる。
わたしがブログを書く理由は、どこかの登山家が言った「そこに山があるから」という答えに近いのだけど(つまり、そこにブログがあるから、という理由)
あえてまた書きたくなったのは、「自分の言葉を大切にしたいから」という理由です。
世の中、自分が発信したわけではない言葉に溢れてる時代です。他の誰かの価値観を反映した言葉に埋もれることが、わたしは嫌だった。
わたしにとっては空虚な価値観に翻弄されるのが嫌だった。
わたしにとって大切なことは、わたししか知らないし、誰の言葉にも埋もれたくなかったんだ。
よく言う名誉や名声っていうヤツは、人からの賞賛を受けることの快楽である。
人間は弱いから、年収が高い人が偉そうに見えるし、名誉や地位がある人が偉大な人に見える。
でも、人間一人ひとりの幸せについて考えると、結局のところ「自分の声に、自分が耳を傾けてあげているか」というところが、幸せであるかどうかを左右すると思う。
つまり、人からの賞賛を求めてるうちは幸せになれない。
本当の幸せを得るには、自分のうちなる声に耳を傾け、何を自分は望むのかを、透き通った心で見つめる必要があるのだ。
だから、わたしは、ブログを書く。
だと、かなり、飛躍がある気はする。自分の声を確かめたいなら日記でも書いてればいい話である。
しかしそれでも、わたしがブログという形で、わたしのリアルな気持ちを文字に起こし続けているのは、ここに、こういう考え方をする生の人間がいるということを、インターネットを通して知らしめるためである。
知らしめてどうするのかといえば、このブログを読んだ人に考えて欲しいのだと思う。
本当に世の中が良しとすることは、自分にとっても良いことなのかということを。
本当に、あなたは、それがいいと思っているのか。
わたしは誰もが、そうやって自分の言葉で発信できる世界をのほうが、未来はよりよくなる気がしている。
本当に自分が価値があると信じるものを、常識なんていうつまらないものを流されることなく、価値を主張していけるのか。
そういうことを、大切にしてるから、わたしはこのブログで正直な気持ちを書き残しているのである。
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>本当に自分が価値があると信じるものを、常識なんていうつまらないものを流されることなく、
>価値を主張していけるのか。
これ、難しいopinionですね。「本音という建て前」「裏も表もない」「左も右も関係ないだろ」
「タテマエは政治家に言わせておけばいい」「根回し」「序列」「忖度」「過労死」「予定調和」
「会社内での常識という非常識」「空気を読まずに浮いている」「会社員の絶妙な空気の読みっぷり」
常識に反して価値を主張するとなると、これだけさっと浮かびました。
「お前はサラリーマンは向いていない」という父の言葉が胸に痛いですが、向いていないものを
8年間もやったのは褒めて欲しいです。
ちゅるりんさん
>常識なんていうつまらないもの
この部分、ちょっと言い過ぎたかもです汗
常識が大切な時もありますよね。
ただ、みなが常識だと思っていることが、本当に正しいのか、人間にとってあるべき姿なのかは、じっくり考える姿勢は大切なのかなと思ってます。
ちゅるりんさんのお父さんはそんな風に言っていたんですね。
8年間、本当にお疲れ様でした!!
会社で働く大変さというのは、部署によっても違うでしょうし、他人が理解するのはなかなか難しいところはあるかと思いますが
まずは自分が自分を褒めてあげることも大切かなと思います。
お父さまは東大卒で凄い方かもしれませんが、それと同じくらいちゅるりんさんも凄いですよ。それこそ学歴じゃないです。
ちなみに、わたしも母親から「サラリーマンは向いてない」って言われてました。はじめてのSIerを辞めた時は会社に対する不満も大きくて、「確かにわたしは会社員は向いてないな」と思い、フリーランスになってから自分の裁量で動けるようになって自分に合っている気がしていました。
でも、フリーランスは仕事をとってくるのが大変で、仕事の幅も自分が思ったようには広がらなかったのもあり
3年前に会社という組織に属することをもう一度選んだわけですが
はじめに会社に属していた時とはまた違うものが見えてきて
今は外資スタートアップというところなので日本企業の堅苦しさは今のところあまりなく、結構あってるかもなーという気もしてます(これからどうなるかわかりませんが汗)。
時代はよりフレキシブルな方向になっていくと思うので、ちゅるりんさんの活躍の場も沢山あると思います。
逆に、サラリーマンに向いている人って言われるのも、、どうなんでしょうね笑
もしかしたらサラリーマンをやってる身からすると結構辛い仕事だから、子どもにはもっと自由な仕事の仕方をして欲しいという願いも込められていたかもしれないですよね。
勝手なわたしの解釈ですが。