台風を感じながら朝にベランダで考えたこと。
台風が来ている。こんなときは、在宅勤務だ。在宅勤務が許されるということが、こんなに有り難いのも、家族がいるからだろう。
朝型人間になるべく、最近は早寝を心がけているので、今日は5時には布団から出てきて、ベランダでまったりしている。
まだ少し眠いので、このキャンプ椅子でうたた寝できたら最高かもなぁと思いつつ、そういえば、校外委員の仕事があるのでそれをやらなきゃいけないことを思い出す。
新天地での1週間。在宅勤務が週2でできれば、なんとかなったと言っていいものか。
やはり、心残りは次女で、ひとりで鍵を開けて家に入ることには慣れていないようなので、これから、出社する日は、「おかえり」と言う動画や音声を次女のキッズ携帯に送ろうかなと思い始めたところだ。
長女はと言えば、「週5で出社でもいいんじゃない」と言っていて、わたしが朝早く出てくれると朝に時間が余るのが気分よさげな様子である。
女性の子育てと仕事というのは、なんとも、難しいものだなぁと改めて思う。
そもそも、子育てが最大の仕事であるという重責を負いながら、それ以外にも仕事をするという、この複雑性。
女に学問などつけるもんじゃないというのも、いざ頷ける。
そうとも、高収入だったりお金持ちの男性を捕まえて子育てに専念するのが、結局のところ一番幸せなんじゃないかという、身も蓋もない思考が、頭の中をチラチラする。
ただ、それには「高収入だったりお金持ちの男性を捕まえる」という前提条件がついており、残念ながらわたしにとってそれはわたしの人生の目標とは異なるのだ。
ただ、わたしが、仕事に熱を出せば出すほど、「女性がそこまでする必要ある?」という外界の反応は避けては通れないものであり(被害妄想も含む)、その反応を目の当たりにするにつけ、「一般的にはここまでする必要はないわな。子育てが一番大切やしな。ただ、あたしがやりたいだけやねん。あたしには、あたしの夢があるねん。」と自分を鼓舞する必要を感じる時がある。
ここで言う夢がなんなのかは、非常に、言葉にするのが難しい。言葉にすると、それが叶わなくなるような気すらする。例えば翻訳者や通訳者にならなかったように。
夢というのはもっと漠然とした想いのようなもので、具体的なものではないから、具体化すると、現実と違った時に夢が叶わなかったというような形になってしまうので、言葉にするのは難しいなと。
あえて言うなら、きっと、家族円満、子孫繁栄あたりが無難なのかもしれない。
さらに言えば、人生やり切った元気一杯の可愛いおばあちゃんになりたい、ってところかなぁ。