嘘っぱちの人生
- 2006.06.06
- 日々の徒然
わたしは嘘っぱちの人生が嫌いだ。
そんな言葉が今思い浮かんだが、一体誰が嘘っぱちの人生を送っているというのか、自分で分からなかった。
ただ、わたしはきっと昔嘘っぱちの人生を歩んでいたことがあったような気はしている。思うように生きれない、嘘っぱちの人生。もちろん人生が全て自分の思い通りになるなんて思っちゃいないのであるが、そうではなくて『あたしの今の生き方って嘘っぽい』と直感で感じてしまう生き方っていうのがあったのだ。
悲しいかな、わたしは他人の人生に対しても、ことの真偽に関わらず、『嘘っぽいなー』と感じることがあったりする。もちろん、嘘っぱちな人生を送りたくて送っている人なんていないだろう。ただ、嘘っぱち人生を送らなければいけない状況に追い込まれることっていうのはあると思うのだ。自分を見失ってしまって、嘘っぱちな人生を送っている・・・ようにみえる人・・・
どうしてそんなこと言うかって。それは今室井佑月の『Love Fire』って本を読んでいるんだけど、この本は嘘っぽくないと思ったからだ。室井佑月は嘘っぱちの人生を歩まない人だと思い、そして彼女の書く文章が気に入ったからだ。
世の中に言葉は溢れているけれど、中には空虚な言葉っていうのがある。本当に空虚な言葉なのか、そうではないのか、それはそれを発した本人にしか分からないのであるが、それでもそれを聞いた人が空虚だ、嘘っぽいと思ってしまう言葉と、そうでない言葉がある。
わたしは長年日記を書いていて、嘘っぽい言葉かそうではないかについて、実はうるさい。何か文章を読んでも、それが嘘っぽいか嘘っぽくないかを見分けようとしてしまう。
それにしても、嘘っぱちの人生を嫌うわたしの発言が『嘘っぽい』と言われるのは問題である。言葉が軽いとたまに言われるのである(最近は前より少なくなった)。ただ、心当たりがあるとすれば、昔の嘘っぱちの人生を歩んでいた頃の名残かもしれないとは思うのだ。
ああ…嘘っぱちの人生は歩みたくないなぁとすごく思う。
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