幸せな女は、許せる。

幸せな女は、許せる。

わたしの母は、とある国立有名大学卒である。大学時代の同級生には医学部の人もいて、将来のお医者さまなんだろうけど「いい女とは自由奔放な男性のことを許せる女だ」という話をされたらしい(不倫を許せる女の意味っぽい)。そのとき、母は「わたしはいい女になりたいんじゃない。幸せな女になりたいんだ」といった話を誇らしげに話していた。

その話を聞いて、そういう価値観が良いのだと若いながらに擦り込まれていて、人間の本当の幸せとは、ということを意識して生きるようになったと思う。

でも、わたしは幸せな女になりたくて結婚をしたのに、母はそれをはじめは認めてくれなかった。幸せな女、の定義が、わたしと母で違った結果なのかもしれないが、わたしは、あれだけ幸せな女について語っていた母が、わたしの幸せを理解してくれなかったことに、正直言えば心底落胆した。

わたしが結婚してから10年以上経ち、きっと母はわたしなりの幸せを理解してくれ始めた気がするが、それでも、一度壊れてしまった仲は、親子であっても、元には戻らない。そもそも結婚したら、元の家には戻れないのだから、元に戻る必要もないのかもしれないが。

実家にいた頃に、母と喧嘩しても、よく母が言っていたのは「親子だから、いくら喧嘩しても、結局は許してしまう」ってことだったと思う。

わたしは、その言葉に甘え過ぎていたのだろうか。

親子であっても、越えられない何かを越えてしまったのだろうか。

そういうことを考えるにつけ、漠然と浮かび上がるのは、人間の無意識の、カーストである。

高学歴の母にとって、学歴というのは、無意識に母を学歴カーストの高みに押し上げる麻薬のようなものだったのかもしれない。

その麻薬をわたしが取り上げたことによって、母は自分を保てなくなったのではないかと、考える。

こんな風に、学歴偏重主義を斜に構えて見てしまうからこそ、母との軋轢は埋まることがなかったのかもしれないが

きっと、人間は分類したがる生き物で、無意識のカーストだって沢山あるし、それを責めたところで、それは人間の性だとしたならば、最後は許すしかないではないか。

そうだ。

母が言っていた。自分の父親に、人間にとって大切なことを聞かれた時に、「許すこと」だと答えたら、父親から褒められたそうだ。

その話も嬉しそうに母が話していたのを思い出してみると、きっと、今ごろ母も、きっとわたしを許しているのではないかと思えてくる。気のせいかも、しれないけれど。

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