CALLIGRAPHY
習字って、英語だとcalligraphyって言うらしい(Weblio検索)。
あー、たしかに。writing charactersじゃないんだね。つまり、英語の文字を綺麗に描くカリグラフィーが習字かー、と納得した。
急に昔話になるけれど、わたしは昔、習字を習っていたのだけど、母親から「あなたは、一年生の頃は字が上手かったのに、だんだん汚くなったよね」と言われていた。
それに対して嫌な気持ちもすることもなく、へーそうなんだ、と思っていた程度だったが、わたしが忌むべきは、「字が綺麗だと育ちが良さそうに見られる」という、偏見や先入観であった。
字の書き方で人となりや家柄など判断されたらたまったもんじゃない。字が綺麗だって性格悪い人だっているだろうし、「字が綺麗っていいよね〜」という声の裏に潜む価値観には賛同しかねたのである。
そんなわけで、このコンピュータ化が進む社会において、習字を習う必要は特に感じなかったので、子どもたちには習字を習わせようとしたことはないのだけど、急にここにきて、習字を習わせたくなっている自分がいるのに気が付いた。
それはどんな心境の変化かというと、小学校の廊下に張り出されている子どもたちの字を見ていて、我が子の字に何か物足りなさを感じたのだ。
丁寧に書いているし、頑張っているのが伝わってくる字。
でも、今ひとつ、伸び伸び感が足りない。
もしくは、基本が習得できていない。
そんな感覚に襲われるのである。
周りの子の字と比較していないと言ったら嘘になる。たしかに、同い年でとても堂々としたいい字を書く子がいるという事実を知ると、我が子にも習字を習わせたくなるのである。
母親から「あなたは字が汚くなった」と言われても、ずっと、特に習字に対する希望とか必要性とかは感じたことがなかったのだけど、にわかに、わたしも子どもと一緒に字を心を鎮めて静かに書くという経験をしてみてもいい気がしてきている。
つまり、子どもと一緒に習字を習って、自分の字も見直してみたいなぁと思い始めたということだ。
そんな時間ないかもですが、長女の中学受験もないことだし、そういうことに時間を使ってもいいかもなーと思い始めてる次第。