2015年の年末に考えたこと。
2015年12月30日、ほぼもう23時。子どもたちは夜更かししてくまのプーさんのDVDを観ていて、先ほどやっと寝た。旦那さまは疲れて子どもよりも前に寝てしまった。そして、ここで次女が目覚め、わたしは夜の授乳をしながら携帯でブログを更新する。
そして、次女はすぐに眠りについた。わたしは、目が冴えている。なぜなら、これから、やりたい翻訳の勉強があるからだ。
この年末は、小旅行やら、旦那さまのご両親との京都散歩やら、楽しい予定が目白押しで、ブログでは全部は振り返れそうにない。いや、振り返ることはできるのだけど、たまに、ふと思うことがあるのだ。
ブログに良いことをアップすると誰かに自分が得たものを自慢したい気持ちがそこに出てしまう気がする。自慢したい気持ち…それ自体は悪いことではないかもしれないが、結局自慢の先にあるのは孤独なのかなという気がするときもあるのだ。
ちょっと話は飛ぶが、この年末の小旅行先で手相を見てもらった。去年の年末年始あたりにも1回見てもらったので、だいたい1年ぶり。わたしが手相を見てもらう理由は、手相を特に全面的に信じているわけではないのだが、第三者的な視点から何か人生のアドバイスをもらえたらスッキリするかも、と思うときがあるからである。
それで、手相を見てもらって、色々言われたわけだが、言われたことの中に「今の翻訳の仕事はあなたにピッタリよ。あなたは会社の中でみんなで同じ目標に向かってやるよりも、自分のペースで事業を起こしたりするのが向いてるわよ。」という話があった。
そういえば、去年手相を見てもらった時にも、同じようなことを言われたのを思い出した。
確かに、会社はわたしには合わないかもしれない。なぜなら、自分のやりたいようにできずに歯がゆい気持ちを抱えることが多いし、他の人のやり方が自分と違うとイライライライラしてしまう。別に自分が正しいと主張したいわけではないし、実際に自分が正しくないことも多いのだが、とにかく、わたしは、自分は自分のやり方でやりたいというところはある気がする。
そういえば、母親にも、わたしは会社は合わないというようなことを言われていたようなことも思い出した。あの頃は、その母親の言葉は、「子どもが生まれたら仕事を辞めろ」と言われるのと同義だと解釈していたが、それは、「会社の中での仕事は向いてない」という意味合いも含まれていたかもしれないと考えることもできる。
ただ、会社時代の人間関係は自分の中では合わないものがあったが、会社時代の仕事内容は面白かったわけで、結局のところ、わたしは、会社という組織には属さずに、自分が面白いと思える仕事ができるのが一番なんじゃないかと。
さてと。翻訳の勉強をやろうかな。今回の勉強、なんとなく引っかかっていたところを突き詰めて調べたり人に話を聞いたりしたら、スッキリと全体像が見えた瞬間があり、そこから面白くなった。そして、やっぱりはじめは字面翻訳をしていたんだなと知った。それだけでも、大きな収穫があった気がする。
そんなことを考える、2015年の年末。
最後の写真は、今日の京都散歩で撮った鴨川越しの先斗町の写真。京都って、街は新しくないし、一見地味だけど、独特の風情があるよね。
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