100点満点症候群
- 2015.12.15
- 日々の徒然
32歳にもなって、まだそんなことに束縛されているなんて馬鹿げてると思われるかもしれないが、その束縛から解き放たれるため、その束縛を振りほどくため、あえてここで告白してみる。つまり、わたしは「100点満点症候群」なのかなと思うときがあるということだ。O型なので基本的には適当な性格で「完璧主義」ではないのだが、「努力をしたら100点満点を取らないと気が済まない」ところがあるのではないかと思うのだ。
つまりは、IT翻訳者として活動することに自信が持てないのは、100点満点の訳文を作成できる自信がないからなのかもしれないと。例えば、アメリアの定例トライアル(テクニカル)を受けて、「C」だとか「D」だとか言う評価が返ってくると、必要以上に傷ついてしまうのだ。アメリアの定例トライアルの評価は「B」が「仕事するレベルまであともう一息」というレベルと定義されている。つまりは、「C」とか「D」は「仕事するには到底及ばない」と言い換えられるような定義であり、その評価を受けただけで、「わたしはこの翻訳業界で仕事をしていいのだろうか」と、必要以上に不安になり自信がなくなってしまうのだ。
それでも翻訳会社のトライアルに合格もして継続的に仕事を頂いているし、知り合いのツテで頂いている直接契約の翻訳ではその分野の技術者や専門家とやり取りをしながら翻訳のお仕事を継続的に頂いているので、自分なりに最善を尽くそうと思うし、実際に最善を尽くすし、逆に、「ふん!そんな評価なんて関係ないやい!仕事あるんだい!」となんとか自分の自信を取り戻そうと無理に自分を誇示してみたくなったりもする。
でも薄々、「翻訳の仕事があるからといってそれが翻訳力が高いことにはならない」と自分で気づいているから、やはり迷ってしまうのである。自分に、この翻訳という仕事が向いているのか、この仕事をやっていていいのか、もっと自分に合う仕事が他にあるのではないか、と。
先日、旦那さまに相談してみた。「定例トライアルとか、そういうところでは評価されないけど、翻訳のお仕事はある。でも、自分の翻訳にやっぱり自信がない。」と。すると、旦那さまは次のようなことを言った。
「その評価って、ひとつの基準ではそう評価されるだけだよね。自信がないのは、SEだって自分の設計に自信が持てないのと全く同じなんじゃない。」
つまり、SEだって、自分のシステム設計が正しいかなんて分からないってことで、結局、仕事に正解なんてないってことなのだろうか。
わたしは100点満点(=正解)を取ろうとするから自信が持てないんだろうか。人からの評価を過大に受け取ってしまうのだろうか。それを真摯に受け止めて地道に努力するという事ができていないんだろうか。
そして、わたしは本当に翻訳が好きなんだろうか。人から「素晴らしい翻訳文ね!」と言われなくても、翻訳を続ける熱意がないとこの仕事って続けられないんじゃないだろうか。わたしにその熱意があるんだろうか。
今日は翻訳作業が思いのほか早く進んだので、翻訳仕事を続ける中での心の葛藤を書き記してみた。今日の翻訳作業はお客様の既存翻訳の改訂版の翻訳で、既存翻訳を見直しながらの翻訳作業だったのだが、「これは明らかに間違いではないか?」という箇所がいくつかあったので、明日はお客様への確認事項をまとめながら訳文を見直す時間にしようと思う。
そうそう。原文の誤りと思われる箇所もあったのだが、その誤りと思われる箇所については、機械翻訳では、その間違いは相当高度な思考回路が実装されていない限り発見は難しいのではないかなと思った。
機械翻訳が増えていくという話をよく耳にする昨今だが、なぜだかわたしは、機械翻訳には負けない自信はある。だって、原文に明らかに間違いがあったとしても、機械ではそれは見つけられないだろうなと思うから。だから、機械翻訳が増えても、仕事はなくならないと思っている(なくなるとしたら別の要因だと思う)。
わたしの翻訳に対する自信って、その程度で、それ以上でもなければ、それ以下でもないのだと思う。
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