ギバーか、テイカーか、マッチャーか

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目が覚めたのは早朝4時前だっただろうか。不思議なことに、今日は2度寝せずに起き出した。子ども部屋にたまっていた洗濯物を畳んで、わたしは、最近やっているタイプLABで紹介してもらった本、『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』を食卓で読み始めた。

1時間くらい読んだだろうか。少し疲れて、リクライニングチェアに移動してまた読みはじめたら、ウトウトし始めて、2度寝をして、7時過ぎに子どもたちの声で目が覚めた。

朝ごはんを作り、女3人で朝ごはんを食べ(旦那さんはおやじキャンプに行っていて朝はいなかった)、それから洗濯物を干して、それから次女のお誕生日会の準備をした。

そんな日曜の朝に考えるのは、「自分はギバーか、テイカーか、マッチャーか」ということだろう。突然そんなことを言われても「は?」という感じだろうが、つまりは、人に惜しみなく与える派(ギバー)なのか、人から奪うことを常に考えている派(テイカー)なのか、持ちつ持たれつ派(マッチャー)なのか、ということだ(ギバー・テイカー・マッチャーについては自分の解釈)。

色々思考を巡らせた結果、やっぱり、昔はテイカーだったのかなぁと思う。つまりは、とにかく「人から評価されたい、すごいと言われたい」と、人から何かの賞賛を求めて動いていて、それって結局テイカーなんじゃないかと。

それが、子どもが生まれて、会社を辞めて、フリーランス翻訳者として活動して、一般事務として派遣社員として再就職して、今に至ったとき、自分の精神構造も随分変わったなと、思った。

つまりは、「アシスタントとして何をギブできるのか」という思考に最近変わってきているように思うのだ。

完全にギバーになったわけじゃない。今は、マッチャーくらいかもしれない。

いや、むろん、ギバーが絶対的にいいわけでもないだろう。ギバーは理想形であったとしても、はじめからギバーであり続けることなんて無理だとも思う。なぜなら、誰かに「何かを与える」ためには、「与えるものを持っていないといけない」とも思うからだ。

若い頃は何かを得たくてガムシャラだった。今でも、常に何かを得るために努力は惜しまないほうがよいとも思う。

でも、仕事という視点で言うと、少しギバーになる視点を持ってもいい気がした。

それは、会社での仕事もそうだし、家での仕事もそう。

何をすれば、相手が喜ぶのか。何をすれば、自分は人の役に立てるのか。さらには、お客様や世の中が求めていることは何なのか。

そういうことを、やっと考えなきゃいけない気がしてきた36歳2児の母。

遅いかもしれないけれど、やっとそういう思考にたどり着けたのも、ありがたいことかもしれない。

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