永遠と一瞬

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永遠と一瞬。

これはわたしの愛するレミオロメンの”ether”というアルバムの中のある曲名であるが、それ以上にわたしの人生観を表わす言葉である。

な~んて、しんみり始めてみたりして(笑)

いえいえ、笑い事ではないのです。とても真剣。カナリ真剣。むしろ、超真剣。

はい、そこのあなた、これから、宇宙にワープするんで、シートベルトをお願いします!とりあえず、これから非常にダークな宇宙空間に飛ぶんで、心の準備お願いします!!

はい、用意できましたか?

では行きますよ!宇宙的、わたしの世界へ。

題名『永遠と一瞬の考察について』

わたしは小さな頃から不思議でならなかったのである。自分という生命が。不思議で不思議で仕方なかった。そして、怖かった。自分という存在が。いつかはこの永遠の時の中に消えていってしまう・・・そのことが怖くて怖くて仕方なかった。そして、わたしは日々の出来事から、たまに ふと 抜け出して、永遠という時の中に自分が消えていくことについて考えていた。どうしたらいいんだろう、自分がいつかは消えちゃうのに、どうしたらいいんだろう。どうしたらいいんだろう。どうしたら・・・

チクタクチクタク

時計の音が時を刻んでいて、「これを一体あと何回繰り返したらわたしは消えちゃうんだろう・・・」と考えていた。

それでも、当然、時間と一緒に規則正しく日々の出来事は起こっていて、そこに感情とか思い出とかそういうのがわたしの歩んできた人生として、当然蓄積されていて。その合間に、常にわたしは考えていたように思う、「わたしはどう生きるべきか」ってことを。

そう、あれはいつだったのか、あんまり覚えていない。わたしが「どう生きるべきか」という問いに答えを出したときなんて。

大学四年生、22歳、まだまだ人生長いのに、そんなに急いで答えを出さなくてもいいんだろう。だけど、わたしはその「いつか消えてしまう自分」に対する答えを、いつのまにか出していた。それこそが、「永遠と一瞬の狭間」ってやつなのです。

とりあえず。

必ず消える。
わたしは消える。
永遠の時の中に必ず消える。

わたしの過ごした時間も、永遠という時間の長さから見れば、本当にちっぽけなものであり、ちっぽけすぎて、多分、わたしが消えるだけじゃなくて、わたしが生きていた時間も、永遠という時の中にかき消されてしまう。

それじゃぁ、どうしたらいいのか。

って考えたときに、わたしは「瞬間を永遠に変えればいい」って思ったのです。何っ?!それは、どういうことか??って??

つまり、永遠の中にかき消されてしまう自分の生きている時間っていうものを、最大限大きくしようって思ったんです。時間を引き延ばそうと思ったんです。永遠という時の膨大さに負けないくらい、瞬間に生きようと思ったんです。

永遠にかき消されてしまう、わたしの時間。

だけど、確かに存在するわたしの時間。

チクタクチクタク

わたしは、わたしの時間を

喜怒哀楽

そういう人間の感情でいっぱいに満たして生きたいと思ったのです。そして、それが強ければ強いほど、瞬間は永遠になっていくんじゃないか、って。

と、ここまで書いて、なんだか、夜なので寝なきゃいけない感じなので、続きはまた今度にします。ていうか、続き、なんて書いていいか分かりません。。

でもだいたいのところは、書いたつもりなんですが。
でも肝心なところが上手く文章で表現できなかったような。

しりきれトンボですが、今日はこの辺で・・・・

はい、ワープから、地球上に戻ってきました。
お疲れ様でした~☆
読んでくださった方、ありがとーございます☆☆