母の昔の話

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秋の虫が鳴いていますね。いえ、まだ夏の虫かしら。わたしの部屋の窓から入ってくる虫の音とひんやりとしたゆるやかな風に、少し秋を感じています。今日は長い一週間の夏休みの旅行から帰ってきて、色々な体験をしてきたから、たくさん話したいことがあるのです。この肌をなでる秋風のように、静かにさらさらと話してゆけたら・・・などと思いますが、なかなか上手く話すことができずに、歯がゆい気持ちを今抱えていたりします。

母方の祖母はとても話好きで、わたしと、わたしの従姉妹に、お見合いで一緒になった祖父の話や、母の子どもの頃の話、母の兄の子どもの頃の話、祖母が苦労した話・・・などなど、たくさんしてくださいました。それにしても、わたしは涙が溢れ出てしまうことがあったのはなぜなのでしょうか。自分でもなぜなのか分からないのですが、一つはやはりわたしの母の子どもの頃の話が非常にわたしにとっては感じるところが大きかったというのがあると思います。

わたしと母は、なぜなのか、性格が違うためなのか、気持ちがすれ違うことがよくありました。わたしは、分かってもらえない寂しさや悲しさに襲われ、そして母のこともどうしても分からないという気持ちを抱えていました。なかなか埋められない母とわたしの間の何か・・・それをわたしは今回の祖母の話の中に見つけたように思うのです。

母の切実な気持ちが、祖母の話を聞いているうちにやっと伝わってきたようなそんな気がしました。それはわたしだけの解釈ですし、本当にわたしが祖母の話を聞いて理解したような母なのか、分かりませんが、それでも、祖母が母の小さな頃の話をして、わたしは、わたしの母が分かるような気がしたのです。

どうして、毎日顔を合わせているはずなのに、わたしは母の気持ちが分からないように思ったのでしょうか。どうして、祖母の話を聞いて、わたしは母の気持ちが分かるように思ったのでしょうか。それは、わたしが思うに、人間は、過去に経験したことが自分の中に生きていて、それが現在の行動などに影響を及ぼすことがあるからだと思うのです。しかし、それは本人だけの経験であって、たとえその本人の子供であっても、親の小さな頃の経験は知る由もない。ゆえに、過去の経験が現在の行動に影響を及ぼしているとき、その過去の経験を知らなければ、その現在の行動の理由も分からない・・・そんな風に思うのです。

なにやら難しく書いてしまいましたが、結局のところ、人間を理解するのに、過去を知らなければ理解できないことがあるのだということだと思うんです。その人本人だけのことを考えれば、大切なのは”前に進むこと”であるから、過去を振り返ることはないのかもしれないけれど、やはり、わたしたちは過去から影響を受けて現在を生きている。その事実は変えられず、誰かを本当に理解しようと思えば、過去を知ることは非常に重要なことだと思います。

そんな意味で、わたしは今回の旅で母のことが少し理解できたような気がして、よかったなと思うのです。