春に父母を想う

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それにしても、寒くないですか。

春なんじゃないんでしょうか、今。今日、アルバイトの服をクリーニングに出しに行くために、ちょっと家の周りを散歩したんですが、寒いって。寒いから。”痛いほど寒い”とか、そういうんじゃないけど、期待より寒い。桜がもう咲いてるっていうから、気分は『よぅ~~~~し!!もう春だぞ~~[emoji:e-235]』って感じなのに、厚手のジャケットとか着ないと外を歩けない感じですよ、今。

ほんとにね~やんなっちゃうわよぉ~~春なら春らしくしてほしいわよねぇ~~~~~ほんとにもうっ。

と、どこかの近所のおばさんみたいになってますが、なにか。

卒業式を終えて、『学生』という身分を終えて、卒業生の皆さんはどんな心境でしょうか。何か変わりましたでしょうか。わたしは、変わりました。卒業旅行でも価値観が変わった!!とか言っていましたわたしですが、今回の卒業式を境にも心境の変化はありました。

一番の変化は、父や母に対する感情ですね。いきなりこんなに変わるものかとも思いますが、確かに変わりました。感情の変化なのかよく分かりませんが、とにかく、父や母が小さく見えるんです。父や母が大切なもの(?)に見えるんです。一体どうした変化なんでしょうか。

学生時代は、わたしは本当に力の限り親に反発している部分がありました。一体、何に反発していたのかといえば、「もっと規則正しい生活をしなさい」だとか、そういう”型にはめようとする”親の言葉に反発していたんですね。もちろん、親は型にはめようとしているわけではなく、子供の体を気遣って…とかそういう理由があったのだとは思うのですが、とにかく何でも自分の目で見てみたい!!自分で体験してみないと気が済まない!!自分で自分で自分で!!と意気込んでいたわたしにとって、親のそのような助言というのは、わたしの自由を妨げるもの以外の何者でもなかったんですね。

けれど、ついに学生という身分を終えて、社会人という身分を目の前にして、「キチンとせなアカン」という自覚がふつふつと当たり前のごとくわたしの中に芽生えました。

芽生えたと同時に、父や母という存在が何かわたしにとって違う存在になってみえてきた・・・と言ったら、それは、綺麗ごとのようでしょうか。

リビングにいれば、母が何かを話すのです。

未だにパワー溢れる母親をやっている母ですが、それでも、今までよりも”何か”が衰えてきた…と感じる。思えば、大学時代にあれほどまでにわたしが反発していたことに対抗するだけでも、測り知れないエネルギーを消耗したはずです。もし、わたしがあの反発を今繰り返したら、きっとあの時と同じように壮絶な親子喧嘩は繰り返されるのかもしれませんが、今のわたしには、コタツからわたしに話しかけてくれる母に対して反発しようという気が起こりません。

一体、これはどうした変化でしょうか。

この春、父が地方に転勤になります。

わたしの家族にも新しい生活が始まるわけです。

社会人として、一人の大人として、今の家族に対しても新しい自分で接っしようと思う、卒業式後のひとときであります。