意識しないでとってしまう行動

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だいたい、人にはどれくらい『意識しないでとってしまう行動』というのがあるのだろうか。誰しもあることなのだろうか。それとも一部の人にしかないことなのだろうか。

ここで言う、『意識しないでとってしまう行動』というのは、自分では意識していないのに相手に対してなんらかの印象やら感情やらを与えてしまう行動。例えば、傷つけようと思っていないのに人を傷つけてしまうだとか、イライラさせようと思っているわけではないのにイライラさせてしまうとか、怖がらせようと思っているわけじゃないのに怖がらせてしまうとか、気があると思わせようと思っているわけじゃないのに気があるように思わせてしまうとか、悲しませようと思っていないのに悲しませてしまうとか、喜ばせようと思っていないのに喜ばせてしまうとか、、、、えとせとら。そう、そんな感じのこと。

だいたい、そういう『意識しないでとってしまう行動』って、性格的なことだったり、今までの人生で無意識に身につけてきたことなんだと思う。

なんでこんなこと言うかって、わたしは自分で意識しないでとる行動に、よく頭を抱えることが多いからだ。先日普段一緒に仕事をすることはないけれど、同じグループにいる先輩社員さんと話しているときに、『たまに”やっちゃった”ってことあるよね』と言われた。それはいい意味なのか悪い意味なのか、わたしはどうしても測りかねてしまうのだけど、普段一緒に仕事をしていないのに、わたしの『たまにミスやってしまう』性格について、けっこう噂・・・ではないけれど、そんな風な評価を受けているということに、かなりショックを受けた。

とはいっても、心当たりがないわけではない。確かに『ミスやっちゃった』ところがあって、自分でもだいたいは気付いている。でも、そのことについて考えたときに、いつも、結局は何かやってしまったあとに考える自分がいて、どうしても事前に考えることが出来ないという性質をわたしは持っているらしい。それで、ミスしたあとに『あああ・・・なんでわたしは・・・』となるのだが、それはもうあとの祭りであって、どうしようもない。

そういうどうしようもないことが、わたしにはよくある。

実際のところ、自分でもなんでこんなんなのか、よく分からない。なんでこんな風になってしまうのか。事前に考えとけばよい・・・って。はい、その通りです。その通りなんです。意識して行動すればよい、って。ええ。本当に。その通りですよ。そこに一つの間違いもございません。それなのに、わたしはダメなんです。何かいっぱいいっぱいになると、考えられなくなってしまう。考えながら行動するってことができないんです。

そして、そういう自分を

一回シネ

と罵ってから、いつも次の日を向かえます。それで、一回わたしの一部がシンでくれたらいいのに。わたしのダメな部分がシンでくれたらいいのに。でも、シンでくれない。いつまでも、わたしは同じことを繰り返す・・・さないように、心を毎回改めて新しい日を向かえるのですが、、、本当に自分には失望することばかりです。

ふむ、今日はちょっと無茶苦茶なこと書きすぎたかな。実際、そんなに重大じゃないことなんで、あんまり気にしなくていいですよ。ほんとに。以上今日の大量愚痴吐き放題の時間でした。