同窓会

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今思えば、昨日は酔っていたのかもしれない。わたしは中学時代、親の転勤でオランダのアムステルダムにいたのだが、昨日はその中学時代の友人たちとの同窓会があった。頻繁にそのメンバで飲み会は開かれていたが、今回は友人たちの親もくるということで、けっこう大規模な同窓会かと思い、自分なりにそれなりのお洒落をして同窓会に向かった。

会費は大人飲み会としては普通だったかもしれないが、飲み放題だったのもあり、子持ち生活をしているわたしにとってはかなりの金額で、主婦根性で「もう次女も夜中の授乳も少なくなってきたし、美味しいビールの一杯でも飲んでかなきゃ元がとれない」とか思い(よく考えれば、長年来の友人とのおしゃべりだけでもそれ相当の価値はあるはずなのだが)、ビールを頼んだら、ジョッキで出てきた。

久しぶりのドイツビール。とっても美味しかった。出てくる食事は、ビールを飲むための食事という感じだったが、美味しかった。思ったより集まった人数は少なかったが、久しぶりの再会に会話は弾み、そして、わたしは次第に饒舌になっていった。

中学時代は、わたしの暗黒の時代である。小学6年生頃に出始めたニキビが爆発しだし、小学時代に追った小さな恋愛の心の傷を抱えていたため男性恐怖症にもなっており、周りが誰が好きだこうだ言う輪の中に入りきれず、勉強ばかりしていた時代である。

アムステルダム日本人学校、それは1クラス20人程度の規模で、かつ、1学年1クラスしかない。そんなわけでは、わたしは勉強ばかりしていたので、とある頭がいい男子が帰国したあとは、常に学力テストの成績は学年で1位だった。今思えば、そんな少人数の中で1位でなんの意味があるのかとも思うのだが、わたしは周りからは「頭がいい人」と言われていた。でも、モテない人。

わたしはニキビと心の傷を抱えていていつも自信がなかった。逆にわたしの母親は周りから美人と言われるような人。母親は自分の子供がニキビで汚い顔をしているのが恥ずかしかったのもあるだろう。常にニキビのことを口にし、さらにわたしの自信を削いでいった。でも、母親は、自分の可愛い娘に可愛くなってほしい、その一心だったのだろう。それを今更責めるわけでもないし、わたしも人のせいにしているのが悪いのは悪い。

とにかく、中学時代はわたしは自信がなかったのだ。家でも鏡を見ては泣いていた。学校でも、人からニキビっ面を見られるのが悲しくて、トイレで、泣いたりした。家で泣くと、母は言っていた。「笑顔が大事よ!笑顔!」。その言葉を信じて、わたしは、学校ではトイレで泣いていても、みんなの前ではいつも笑顔でいるように心がけた。どんなに自分が悲しい気持ちでも、笑顔でいれば救われる気がしていたのかもしれない。

人は言う。「頭いいね~~!!すごい~~!!」と。あたかも褒めているかのようだが、わたしは全く嬉しくなかった。だって、本当はもっと自分に自由になって、恋愛を楽しんだりして、楽しい学生生活が送りたかった。だから、人から「すごい!!」と言われる度に、笑顔でそれを受け止めながら、心の中では「好きで勉強ばかりしてるんじゃないし。今のわたしにはこれしかないだけ。本当はもっと自分に自信を持って、女の子として可愛い学生生活が送りたいし。わたしの気持ちなんて分からないでしょ」と思っていた。

今思えば、心もブスだったのである。ニキビっ面でも、もっと明るい学生生活は送れていたはずなんだから。でも、男性恐怖症になっていたのも相まって、わたしは、心の中で泣きながら勉強する生活をしていた。そんなわけで、中学時代の記憶は、実は、本当にかなり大部分が悲しい思い出で、それ以外の些細な日常のあれこれは、忘却の彼方だった。

意外にも、中学時代の友人たちのほうが、わたしのことを覚えてくれていたくらいだ。わたしが、チョコレートやポテトチップス、唐揚げなどの揚げ物を一切口にせず、お弁当にもそういうものが入っていなかったこととか、細かく覚えてくれていた。でも、わたしが、そこまでニキビに悩んでいたことは、まさか気づいてはいなかったようだ。

そして、時は経ち、あれから16年以上経った。わたしのニキビはまだ調子が悪いことはあるが、昔ほどの赤みは消え、大人の吹き出物レベルだ。悩んだ男性恐怖症についても、すっかり克服して今の旦那さまにも出会い、母親からの呪縛(とわたしが感じていただけかもしれないが)からも解き放たれ、わたしは自由になっていた。

わたしの雰囲気が変わったことに、友人たちは驚いていた。わたしは、むしろ、今の自分のほうが、自分らしいという自負があったので、やっとありのままの自分で昔の友人たちと付き合えているという感覚だ。友人たちからは「昔、頭よかったよね~~」と言われるが、上に書いたような正直な気持ちを冗談まじりに面白おかしく話すことができて、スッキリした。

今思うと、お酒を飲みすぎて饒舌になり、必要以上に話しすぎた箇所はあった気もするが、面白い会話に飢えている自分は、思いっきりしゃべることができて、本望であった。

そんな中学時代の同窓会でした。

そうそう、今、わたしが育児をしながら何か仕事を続けたいのは、この暗黒時代の自分のためでもあります。勉強ばかりしていた自分、でも勉強も一生懸命やると面白かったし、あの頃の自分の努力を、なんらかの形で実らせたいという思いがあり、それは、育児だけでは実現できない気がしているからなのです。あの頃の自分の努力を次につなげない、そういう気持ちも、わたしが今の翻訳仕事を多少なりとも続けたいと思う原動力です。