ネットで文章を発するということ
- 2005.04.04
- 日々の徒然
どんな文章を発するかということが、最近とても難しいことだなと思っている。
普段学校などで会うコミュニケーション形態も結局は難しいのだけれど、文章を書いて人に読んでもらうことでのコミュニケーションというのは、ネットが普及したからこそ実現したコミュニケーション形態であって、今までにはなかったことである。
もちろん、今までも友達と文通をしたり、携帯のメールなどで「文字を使ったコミュニケーション」というのはあった。だけど、それは特定の「誰か宛て」だ。だから、その特定の友達やら先生やら先輩やら親戚やら両親やらに向けた文章を書けばよい。
しかし、ネットでの文章というのは、特定の誰かだけが読むだけではない。誰でも読むことが出来るのだ。
とはいっても、そのホームページなどのアドレスを知らなければ、外部の人は読めないように結局なっていると思うが。
gooにはログという機能がついていて、他の人の文章が簡単に読めるようになっている。見たこともない人の文章が読めるようになっている。
文章。
これは、かなり内面的なものだ。
というか、内面だ。
それをどこまで文章にするのかというのが、とても難しいとわたしは感じている。
人間の内面はとても深いのだ。
文章を書いて、はいこれがわたしの内面の全てです、っていうことには到底なりえないだろう。
そして、わたしが最近ひといき日記を書いていて思うのは、結局「人に向けた文章」を書いているな・・・ということ。ただの独り言じゃなくて、誰かに向けて書いているわけだ。だから、当然自分が「人からどう思われたいか」という内面がここで明らかになっているような気がする。
完全に支離滅裂な文章になったが、
自分はどのような文章をここで発するべきか、なんてことをわたしは考えている。
そんな・・・発するべきかとか考えないで自由に書けばいいんだよ。と言いたいところだが、そうもいかないんだよ、とわたしは思う。
・・難しく考えすぎね。
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