チキン

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わたしは、チキンとはビビッて勇気を出して動けなくなることだという理解をしているが、わたしは生まれてこの方、自分がチキンになっていると思ったことがなかった。周りに怯えて、うまく自分を出せないで悩んだことはあるが、それはチキンではなかったと思っている。なぜなら、チキンというのは、自分の中の理解では、日本語でいう「臆病」とはちょっと違うからだ。そんな病的なものではなく、もっとカジュアルに『おれとしたことが、ビビっちゃってよ~チキンになっちゃったぜ~』的な、明るさを含む言葉のように感じている(あくまで自分の理解)。

そんな、チキンという言葉に関する印象を持つわたしだが、昨日、人生ではじめて自分はチキンだと思うことがあった。それは、子どもを2人乗せて車の運転をするときだ。1年半くらい前に、長女だけを乗せて車に乗っているときに、渋滞中に後ろの車からぶつけられて、そこで動揺して焦って運転したら事故ったとき以来(人は殺してはいないです、念のため。。)、子どもを乗せてわたしだけで運転することはほぼなかったのだが、昨日は家のドライヤーが壊れてしまい、ドライヤーがないと困るので、娘2人を乗せて車を15分ほど走らせてドライヤーを買いに行った。

その運転中に、「自分、チキンになってるなー」と思った。

何をするにもビクビクしてしまい、無駄に周囲を何回も確認してしまう。スピードは出さなければ大きな事故にはなりにくいだろうと思いながら、とにかく事故を起こさないように運転した。何回か行ったことのあるショッピング街だったが、カーナビはまだ見ずには走れないため、道を覚えながら、車を走らせた。子どもたちにはDVDを見せ、赤ちゃん用のスナックを食べさせて、静かにしてもらって。

親からは「あんたは絶対運転しちゃダメよ」と言われていた。家にいたころは、「へ~そうなんだ~そんなもんかなぁ~。わたしってそんな人間なのかな~」と思っていたが、結婚して家を出ると、「いや、わたしにもできるんじゃないか、車の運転?」と思うようになった。そして、免許を取り立てのころは、「いや、わたしにもできるって!」という前向きな気持ちになり、運転中に好きな音楽さえ聞いたりすることもあった。

しかし、事故ってからは、やはり自分が信じられなくなった。親が言うことも一理あるとは思った。しかし、まったく運転しないというのは、どうなんだ。そこまで、自分はダメなやつだと思いたくないし、もう少し自分を信じてあげたいし、実際問題、子どもを乗せて車が運転できないと生活しずらいのもあって、運転はできるようにしたいと思う。

つまりは、わたしは運転しているとき、チキンになってるくらいがちょうどいいのだと思う。だって、車って人の命に関わる危険な乗り物だから。

はい、仕事します。では。

P.S.今日の長女のお弁当。コンビニに入った時に、このアナ雪のラップが欲しい!と長女がいうので、お弁当のネタにも困るので買いました。お弁当に入れるのが、意外と難しかったです。