お金
- 2015.02.18
- 日々の徒然
なんだかんだ言って、母親から絶縁されても、母親の影を追ってしまうわたし。わたしの母は、ものすごい節約家だったと思う。子どもながらに、なんでそんなに節約するのかと思うくらい節約家だったし、わたしが子ども時代、一般的に言う高価なものなんて買ってもらえなかった。
でも、結婚したら専業主婦になる時代だったら、それって普通のことだったんだろうし、そうすることが素晴らしいことだと称えられたんだろう。
子どもとしては、なぜそんなに節約するのか分からなかったけど、家庭を持って、自分だけにお金を使える生活ではなくなると、その大切さも分かってくるところはある。
別に、ものすごく贅沢したいわけではない。お嬢様になりたいわけでもない。ただ、今は子どもがいるから仕事量をセーブしていて、翻訳の仕事も始めたばかりだし、収入も会社時代のものより当たり前だが少ない。
母の姿を見てきたから、昔はなぜそんなに節約するのかと思っていたことも、前よりは理解できるようになったし、旦那さまも頑張ってくれているから、無駄にお金を使い過ぎなければ、そこまで生活に支障はない。
ただ、なぜか、言葉を悪く言えば、なんか昔より自分がお金にセコくなったように感じるときがある。人と比べたりとかすることもある気がするし、昔はお金のことで人と比べたりすることってそんなになかったのに、最近は「自分は収入少ないし節約しなきゃな」みたいな変な義務感みたいなものが強くなってきた気がして、どうしたもんかと。
お金がなくても幸せ…
なんて言うのは、頑張った後で結果的にお金がなくても幸せだったら言う、結果論であって、こうやって、今日は雨だし外にも出れずに子ども達を見ながらボーッとしながらブログを更新する自分を考えると、もっと違う人生に対する頑張り方があるんじゃないか、一世代昔の母の姿を追うことなんてないじゃないか、と、思ったり、いや、本当にそうなのかと思ったり。
はぁ…外は雨。やることないなぁ…
次女は抱っこ紐で寝てる。
長女は毎日毎日キネティックサンドを飽きずにやっている(雨でも外に行こう!と思って誘っても、そもそも服を着替えるのを嫌がるし)。
そうそう、昨日は電車で1時間くらいのとこにある、大学時代のお友達のところに遊びに行きました。
長女が赤ちゃんの頃は、よく電車に乗って都内に繰り出していたけれど、2歳の頃にバスや電車に乗った時の大変さがトラウマになってなかなか遠出をしていなかったんだけど、ここのところ長女も聞き分けが出来てきたし、幼稚園に行き始めたら長女と一緒に外出とかしにくくなって、会いたい人にも会いにくくなるしで、頑張ってみよう!!と思って。
思ったより、電車の中でいい子にできるようになっていました。しゃべる声はやっぱりちょっと大きめだけど、椅子に座っていられるようになったこと、そして、周りの様子も少し見て考えられるようになったこと、そういう成長が見られて、もちろん、次女を抱っこしてなので、体力はやっぱり使ったんだけど、心は思ったより楽でした。
話は飛んだけど、大学時代のお友達もこの4月でお仕事に復帰するんだけど、これから頑張るお友達を目の前にして、わたしって、今計画してる春からの生活でこれから満足できるのかなーって、今日はなんも予定ないから考えてしまう午前中。
そうそう、自分にとっての大学時代のお友達って、受験勉強から解放されたあとで気持ち的に余裕があったからなのか、自分のことを正直にさらけ出しやすい気がする(それ以前のお友達にも自分を出せないわけではないんだけど)。
それで、昨日は自分はお金の話ばっかしてたなーって思ってね。いや、実際は、子育ての話とか他の話もいっぱいしたんだけど。でも、自分の頭の中がお金お金お金…ってなっちゃうときがあって、なんでなんだろーなと思うと、やっぱり同年代のお友達よりも収入が少ないからなのかなーとか。
はーー、無駄すぎる、この思考。
雨って、困るねぇ。雨だけど、お外に行こうかなぁ、買い物とか。あとはパン作りとか、しようかなぁ。
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