お仕事体験エンターテイメント

お仕事体験エンターテイメント

正月2日目はキッザニアに来ている。今は、子どもたちのチア体験の待ち時間だ。子どもが小さい頃は、子どもがお仕事体験してくれる間の、プチ待ち時間が、自分にとってのプチ自由時間で癒しの時間だった気がする。

娘が小5と小2とかになると、自分の自由時間はずっと取りやすくなっているので待ち時間もそこまで貴重というわけではないのだけど、それでも、やはりひとりの時間は有難い。

とはいえ、カンドゥーであれ、キッザニアであれ、お仕事体験の間はプチ自由時間だと思っていると、意外と次のお仕事体験をするために空きアクティビティを探したりとかでけっこう忙しいのだが。

しかし、自分が子どもの頃はお仕事体験のエンターテイメントなんてなかったし、エンターテイメント施設のトップはディズニーランドだったと思うのだけど、先日、家族でディズニーランドに行ったら、子どもたちから「待ち時間が長い」というブーイングをもらい、ディズニーランドどうだった?と聞くと、「待ち時間が長かった」と。

ディズニーランドより、カンドゥーやらキッザニアのほうが楽しくてまた行きたい感じであった。

そうかー、時代は変わっているんだ。

ディズニーランドやディズニーシーがエンターテイメントのトップではない。

ユニバーサルスタジオだってあるし、世の中には色々な形のエンターテイメント施設が増えてきているということなのだろう。

しかしあえて問題提起してみると、お仕事体験というコンセプトはいいと思うのだが、子どもたちが将来のお仕事につながる体験ができているかというと、疑問、というか、そこまでの施設にはなっておらず、単純なお仕事体験をテーマにしたエンターテイメントの域を超えていないかなと思う。

今の日本に、自分のお仕事に誇りを持って子どもに伝えていくというような風潮がそこまで強くないのは、職業選択の自由というものがあり、親の職業が子どもの職業に直結していないことも少しは起因していると思う。

職業選択の自由は諸刃の剣であり、自由であることは素晴らしいと同時に、自由という大海原に投げ出され、そこで自分の生きる道を探さねばならないということであり、それは、いい大学、いい企業に勤めたからと言って手に入るとは限らない点が難しい部分である。

なぜか親としては、子どもをいい大学、いい企業に入れたくなる。それは金銭的な苦労を将来させたくないという思いや、なんだかんだいっていい大学やいい企業に入れば生活は安定するからだろう。

しかしその過程で「生き甲斐」まで個人が見つけられているかどうかでいうと、どうだろうか。

仕事とは、自分の生きる道である。

金銭的報酬があるかなしかではなく、誰のために、何のために、仕事をするのかということである。

お仕事体験エンターテイメント施設がそれを考える機会になっているかというと、ちょっと疑問があるが、単純にエンターテイメントとしては子どもも楽しんでいるのでいいかなと思うのと、もしかすると、新しい時代の子たちは、こういうエンターテイメントの中から自分の生きる道を見つけることもあるかもしれないわけだから、一概に良し悪しを言うのも何か違うだろう。

色々体験する中で、自分に合ったものを探すヒントになるかもしれないし。

そんな風にも思いながら、子どもたちのお仕事体験の写真を撮りつつ、プチ自由時間にブログを更新する今である。

ずっと姉妹仲良しであって欲しいと母は思う

余談: この後、はじめてラジオ局の体験をしたのですが、これが音響機材とかその使い方の説明とかが本格的で意外とよかったー。こういう体験ができるのはいいなぁと思いました。

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