離れているときは。

離れているときは。

4日間の夏休みを終え、在宅勤務をした後、飲み会へ向かった。いや、飲み会という表現はおかしいかもしれない。歓迎会の方が近いかもしれないが、何年も昔から海外で仕事をしていた日本人の方が日本に訪れて、やっと実現した飲み会でもある。

しかし在宅勤務が続く中、リアルで話せる場は非常に貴重である。わたしがいかに相手の気持ちを読めない人間であろうとも、少しはやはりリアルで感じるところはあるわけであり、そういう意味でもリアル飲み会は大切である。

飲み会の前は少し時間があったのでスタバに寄ってチャイラテのアイスを頼んだ。スタバのコーヒーは苦手だが、チャイラテは美味しい。

最近読み進めている小説を読もうと思ったが、意外と頭に入らないので、今の会社で担当している製品のオンライントレーニングをスマホで受けたりした。

だから何ってわけじゃないけれど、旦那さんと子どもたちの日々も、こうやって飲み会のために家から離れるだけで、気持ちが180度変わる。

あたかも、子どもがいなかった時の自分に戻ったかのようになる。

でも、もちろん、完全にそれに戻るわけでもない。

時と場所が離れても、残るもの。

それは何だろうか。

今の家族だけじゃない。

なかなか会えなくなった、自分が子ども時代の家族のことだって、離れても残るものがある。

人は一人で生きてるわけじゃない。

離れて分かることもある。

明日も、出勤だ。

子どもたち、お母さんがいなくても夏休みの宿題をきちんと進められるだろうか。

進められなかったらその時に、バックアッププランもあるから大丈夫さ。

離れているときは、そう思う。

チャイティーラテのアイスを飲み干して。
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