骨をダイヤモンドにしてください。

NO IMAGE

最近、とある人にこんなことを聞いた。お墓を立てる代わりに、骨をダイヤモンドしてくれる、そんなビジネスがあるんだって。よく、自分の骨は海に流してください・・・って話は聞くけれど、骨をダイヤモンドにしてください・・・という話は、初めて聞いた。

その人は、自分のお墓はいらないから、ダイヤモンドにしてほしいと言う。

きっと、これから、そういう時代がくる、と言う。

その人に、ダイヤモンドはお墓に比べてなくなりやすいよね、って言ったら、そうそう、それも考えたんだけど、そのときはそのとき、地球のどこかにいるわけだから心配することないって。自然から生まれて、自然に戻れることが本来のあるべき姿だって。

その話を聞いたとき、わたしは、確かに、ダイヤモンドになるっていうのは、いいアイディアだな、と思った。

ダイヤモンドにいつかなるのなら、この人生を、どう生きてもよいではないかと思う。好きなように生きて、好きなように死んでいく。そして、死んだらダイヤモンドになる。それだけで、よいじゃないか、他に何を考える必要があろうか、と思う。

けれど、実際の自分の人生を考えると、あとでダイヤモンドになるとかならないとか、そんなことは関係なしに、色々な価値観の狭間で、もがいていたりする。いつかダイヤモンドになれるなら、そんな価値観とかそういうことで、悩まなくてもいいのにね。

どうしてかな。

どうして、人は、いや、わたしは、そういう風にしか生きられないんだろう。何かにつまづき、何かに戸惑い、何かに何かを阻まれて、完全に自由には生きられないんだ。

ああ、ダイヤモンドになるまでの道のりは、長いんだ。ほんと。