自分のしあわせごとは

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自分のしあわせごとは、結局のところ、人に言うようなものではないんだろう、などと、こんな夜に思ったりする。しあわせは自分とそれを共有している人との間にあるものであって、それを、人に話したところで、一体誰が嬉しがるのか。とも思いながら、わたしの嬉しい話を嬉しいと一緒に喜んでくれる友達を持てたことに、わたしはそこはかとなく感謝する。人のしあわせを喜ぶことは、普通のことではなくて、特別なことなのだと、思う。わたしは今まで多くの人に多くのものをもらって生きてきたから、思う。これからわたしは、人に何が出来るだろうかと。相手は何を望んでいて、わたしは相手が望んでいることに対して何が出来るのだろうかと。もしかしたら、何もしないことを相手は望んでいるのかもしれないし、何かをしてほしいと思っているのかもしれない。それを推し量ることはとても困難で、それが百発百中になることなんて、きっとこれからもないんだ思う。でも、だからこそ、例えそれがおせっかいになろうとも相手を思って何かをしたり、少しやりすぎたと思ったら静かにしてみたり、そういうことを毎日、日々繰り返していくことが大切なんじゃないか。

たまにわたしは、ひとりになったときに、とても静かに、そんな風なことを考える。

こんな夜更けに。

ああ、明日は会社だ。

わたしに何が出来るかな。一緒に働いている人に。そして愛している人みんなに。