雨の日のモラトリアム

NO IMAGE

そうだ。このブログの目指すところは、日記ではなくエッセイだった。つまり、日々にあったことや思ったことを時系列に書き並べるのではなく、日々にあったことや思ったことをまとまった思考の固まりとして文章にしてみる、そういう文章。

今日は雨で、やることもないので、2歳の娘にトムアンドジェリーの映画を見せながら0歳の娘を抱っこしながら家事をして、ひと段落ついた10時半近く。雨だとやることが狭まるなぁ。

冷蔵庫にはお肉や魚などのメインとなるタンパク質がない。雨の中、買い物に行かなければ。もしくはあるもので今日は過ごすか。しかし、雨なのだから、やることもそんなになく、ちょっと大変そうだけど買い物くらいしてもいいんじゃないかとも思う。

2歳の娘の幼稚園はだいたいどこに申し込むか決めた。あとは、0歳の娘の保育施設のほうの状況によって、自分がどれだけ子育て以外の仕事ができるか決まってくるだろう。いやしかし、子育ても悪くないとも感じる今、わたしはどれだけ働きたいのだろうか。

ただ、若干の不完全燃焼感は最近感じる。もう少し頑張れるだろ、自分、みたいな。でも、幼稚園が始まったらお弁当作ったり何かと忙しくなるだろうから、意外とそれだけで充実感を感じるようになるかもしれない。

何よりも、2歳の娘が幼稚園に行くようになったら、2人の娘が学校生活をするのを見守る20年ほどの長い期間が待っている。娘たちがわたしの手を離れるまでの長い期間、今ほど自分の自由は奪われないにしても、子ども中心の生活が続くのである。

つまりは、その子育て期間にどんな仕事をしたいのか、そういう問題(翻訳の仕事を頑張ってみようとは思ってる。ただ、それをどれだけ、いつまで頑張るのかという問題なのか)。

あ、娘が映画を観終わって、わたしの横で駄々をこね始めましたので、今日はこの辺で。