富士山
土曜の14時頃、新宿を出て、河口湖からバスに乗って富士山の5合目に到着した。夕飯を食べて、19時半頃から登り始めた。富士山に登るのは大変だと聞いていた。それがどれだけ大変なのか、想像がつかなかったので、とにかく始めから無理しないことをモットーに、ゆっくり一歩ずつ上に登って行った。頂上に近づくにつれて、少しずつ体に疲れは出てきてはいたものの、8合目までは順調だった。登りながら、常に流れていたのはエミネムだった。あるメロディーが繰り返し繰り返し頭の中を流れた。たまに、ちょっとした会話をしながら、この調子だと富士山山頂まで行けそうかな?と思い始めた。
それが8合目過ぎてから、空気も薄くなってきて頭が少し痛くなったり、お腹が気持ち悪くなってきたり、日付も変わって眠気も襲ってきて、呼吸をするのが苦しくなってきた。辛くなってくると、頭の中で、なんであたしは富士山に登ってるんだっけ、とか考え始めた。なんでって、「登ってみたかった」それしかなかった。
朦朧とする意識でとにかく登り続けながら、富士山に登ることで、あたしは何を得たいのかとか考えながら、途中休ませてもらいながら、やっと頂上付近に近づいた。すると、頂上付近では、大変なご来光渋滞でなかなか進まず、頂上でご来光が見れない可能性が出てきた。歩きながら周りを見渡せば、登山道から外れて、岩の上に座ってご来光を待つ人がいた。
正直なところ、ご来光渋滞で頂上に辿り着けるかも分からない状態で、体調はしきりに悪くなっていっていたので、あたしも途中で登山道を抜けて、岩に座って、ご来光を待ちたかった。でも、誰もご来光を頂上で見るのは辞めようとは言わなかった。正直、頂上じゃなくてもいい気がしながら、でも、みんなが頂上でご来光を見たいと思っている限り、あたしもがんばって頂上に行かなきゃと思った。
そんな後ろ向きな気持ちを抱えながらも登り続けると、目の前に頂上が見えた。もう頂上を目指すしかなかった。頂上に近づくにつれ人も少なくなっていって、とにかく、頂上を目指してみんなで登り続けた。
ぼんやり明るみを増していた雲海の広がる空がみるみるうちに明るくなるとき、あたしたちは頂上の鳥居をくぐった。頂上に到着した安堵と喜びもつかの間、人混みの中に歓声が沸いた。
一面に広がる雲海の向こう側から登る光。
光は四方に一層輝きを増しながら、ゆっくり昇っていった。
本当に綺麗だった。
綺麗で泣けてきた。
自分の心の中にある、弱さとかそういうものが、太陽の光で溶かされて、ただ綺麗で涙が出た。
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