人は忘れゆく生き物
- 2016.06.02
- 日々の徒然
久しぶりに、寝かしつけで寝ずに済んだ、ひとりの夜である。甲州ワインとアヴィーチーの音楽の夜。やること、やらなければいけないことはいっぱいあるのに、そんな時間にわたしがやったことは、携帯の中の子どもたちの写真を眺めることだった。去年の夏の写真を見ると、長女も次女も、当たり前だが今よりずっと幼い。長女は、ここのところ、前よりずっと大人になったし、次女はついに赤ちゃんの面影が消えてきた。
今日の寝かしつけでは、長女は布団に入るとそのうち自然に寝たが、次女はわたしの上に乗っては顔をくっつけてきて長らく「まま!まま!まま!」と甘えてきていた。長女が寝たあとの、次女とのいちゃいちゃタイム。わたしは、次女のさらさらでプニプニの足を撫でたり、あまりにも可愛い小さな体をギュッと抱きしめたりするのだ。次女は、嬉しそうにわたしの腕の中で暴れること30分ほど経ったころ、急に静かになって眠りについた。
それで思ったのだ。今、こうやって次女を可愛いと思う感覚や気持ちも、時とともに忘れてしまうんだろうかと。長女も、昔は「おかあさん、だいすき~~!!」といって、わたしにチュッチュッしてきたものだった。でも今や、それなりに聞き分けがよい、素直な子どもになってきた。そんな長女のことを覚えてはいるけれど、あのときの感覚すべてを覚えているわけではない。あの頃は、四六時中まとわりつかれているような気になって、それを疎ましくすら思うことだってあったと思う。それでも、可愛い気持ちもやはりあったり。ただ、それらすべてをそのまま覚えているわけではない。
もう、長女があの頃のように小さかった頃には戻れない。随分と楽になった。そして、次女がこれから大変になる時期なのだけど、長女のときほど、ずっと一日中一緒にいることはないと思う。
明日は木曜日だけど、今月の保育時間の関係で、次女との英語レッスンにいったあとは、次女は保育園はお休みだ。午後には長女が幼稚園から帰ってくるわけだけど、それまでの時間、なかなか次女とゆっくりした時間がとれていないので、じっくり楽しめる何かを考えたいな。
最近、保育園に行く前の数十分では、家事や連絡帳に時間が取られてしまうこともけっこうあるんだけど、なるべく、それらは早めに終わらせて、次女との時間を取るようにしている。ほんの数十分だけど、次女は遊んで遊んでと寄ってきてくれる。やらなきゃいけないことがあるときは、おさるのジョージを見せてしまうけど、きっと、これも今だけなんだから、次女とのほんの少しの遊び時間を大切にしたいと思う。
最近次女は、ワンワンのパペットがお気に入り。「わんわん!わんわん!」と言っては、ワンワンのパペットを持ってきて、ワンワン役をやってほしいとせがむ。それで、わたしは、ワンワンのパペットで「もぐもぐもぐ!うーーーん、これ、おいしいね!!」などと言いながら、何度も何度も同じものを食べるのだ。そして、保育園に行く時間がきたら、次女に声をかける。「さぁ~いくよ~~!」と。
そうそう。ついに、最近次女は保育園に慣れてきたように思う。保育園についてもお母さんにバイバイはしてくれないけれど、でも保育園にはいつも行くものなんだと認識してくれたみたいだ。一日中一緒にいるのは、なんだかんだでお母さんも辛いときがあるので、次女には少しさみしい気持ちを感じさせてしまっているのかもしれないけれど、その分嬉しい気持ちも感じることもあると思うし、結局のところ、今は比較的よいバランスで生活できているんじゃないかなと思う。
だからこそ、今のこの時間をめいいっぱい楽しみたい。心に刻みつけておきたい。
なんとなく、そう思う、しんみりとした、ひとりの夜。
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