カフェで読書の前に考えたこと
- 2013.07.27
- 日々の徒然
このブログ、日々の日記にするつもりはないのだけど、ほぼ日記のようになっている。じゃ、どういうブログなのかって。
人間って、なかなか日常生活では言えなかったり表現できないことってあるじゃない。いつも明るそうなあの子は頭の中では何を考えてるんだろう、いつも面白いあの子は頭の中では何を考えてるんだろう、いつもアホなあの子は頭の中では何を考えてるんだろう、そう思うことってあるよね。わたしという人間の普段のコミュニケーションでは分からないことを、ブログという形で表現する、それが、ひとつの目的ではある。
あともうひとつの目的としては、ひとりの人間の人生を文字に残してみたいっていうのもある。わたしがおばぁちゃんになったとき、どんなこと考えてるのかなぁって思う。わたしは死ぬ直前って、どんなことを考えるんだろう、って思う。それを知りたくて、それを知るために、ブログを続けているのもある。
つまり、このブログはわたしが死ぬまで続けようと思っているってこと。もしかしたら、ブログのタイトルとか、ブログのURL(Web上のアドレス)とかは変わるかもしれないけど、いちおう、今のところ、生きてる限り、ブログは続けたいなぁって思ってる。
人間、いつかは死ぬよね。それを考えると、全てのことって、本当はどうでもいいことだと思うんだよ。例えば、わたしの、今の、一流のIT翻訳家になりたいって夢が、叶おうが、叶わないで終わろうが、夢を途中で諦めようが、もしくは夢を変更しようが、そんなことはどうでもいいことで。ただ、わたしという人間が命を授かって、夢を持って生きた。その事実だけがあるだけで、そこに起きたわたしの感情、それも事実としてあるだけで。
そう。だから、わたしはこのブログで楽しいことや面白いことばかりは書かないの。人の誹謗中傷はしたくないけど、自分の中に起こる感情を文字にする、それは、時にこのブログを読んだ人になんらかの負の感情を引き起こしてしまうかもしれないのに、それでもわたしはそうしたくなってしまう。
そうしたくなってしまった自分の気持ちに正直になることが、いいことなのか、悪いことなのか、それを考え始めたら、いいことな場合もあれば、悪いことな場合もあるんだろうと思う。
ただ、もちろん、このブログは誰かを傷つけるために書いているわけではない。ただ、自分に正直になったものを、文字に起こしたいという欲望を表現する場ではあるのだけど、結果的に人を傷つけることになることはあるのだと思う。
不特定多数の人に情報を発信する限り、不特定多数の人の心を全て想像して理解しながら情報を発信することは、やはりどうしてもできないことだ。不特定多数の人に情報を発信するということはそういうことなのだ。情報の受け取り方は人それぞれ。
自分でも、何が言いたいのか分からない。いや、何が言いたいか、ではないのだ。わたしが、いま、頭の中で考えたことを文字に起こして不特定多数の人に発信したい、その欲望に正直になった結果がこれだ。
さて、旦那さまが美容院で髪を切っている。娘はベビーカーでお昼寝だ。今日の夕飯は何にしようか。土日は基本的に外食したい。ふうむ。さて、娘はあと何分寝てるかな。さて、旦那さんはあと何分美容院にいるかな。残りの時間で、本を読もう。
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