こういう毎日のはじまり。

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朝、次女に髪を引っ張られて起きて、お弁当を作りながら次女の朝ごはんを用意し、そのうち長女が起きてきて、長女と次女の相手をしながら、洗濯物を干しにベランダに出てみると、夏の初めに植えた苗から綺麗なペールブルーの花が咲いていて嬉しくなった。

ふと、スマホを見てみると、以前翻訳者つながりで紹介してもらった英語ネイティブの方から、小さな日英翻訳チェック案件はできないかというメッセージがきていた。幸い、今日明日は手持ちの仕事がなかったので、「時間はあるけど、わたしは英語ネイティブレベルじゃないけれど大丈夫?」という内容のことを聞いたら、それでオッケーらしい。書かれている日本語の意味を訳文にきちんと反映できているかというところをチェックしてもらいたいとのことで、わたしもそれならオッケーと返した(やりとりは全部英語なのだが、これが、また勉強にも自信にもなる。自分の英語が実際に伝わるだけで、少なからず自信がつくものだ)。

それにしても、「それならオッケー」というのは、どういうオッケーなのか、自分でもちょっとだけ不安が残りはしたが、なんとなく、できそうだと思った。ファイルが来てみると、ITには関係ない文書。でも、まだできる気がしている。なぜなんだろう。ともかく、こうして、はじめての日英チェックを仕事として行わせていただいて、さっき1件、ご依頼いただいた「日本語の意味が反映されているのか」という点についてコメントを追加したファイルを送付したところだ。1件目のコメントは、どうも、少なからずお役に立てたようだ。これから、2ファイル目にとりかかる。

今日は、翻訳会社からの依頼はなさそうだ。さっき、9月のスケジュール表を送付して、今日はできないということをスケジュール表に書いたからだ(書かなくても仕事はなかったかもしれないが)。

外は久しぶりに晴れである。外に出たい出たい言いながらも、こうして、在宅で仕事を続けている。そして、在宅の快適さも、なんだかんだ言って享受している(今はiPhoneでアメリカの音楽ラジオを聴きながらブログ更新してるし)。何かモヤモヤを抱えながらも、少しずつ何かが変わっていくのを感じることができるから、やっていけるのかもしれない。

昨日は、早めに仕事が終わったので、長女を早めに迎えに行って、長女とお買いものをした。長女が欲しがったものを、おばあちゃんからのお小遣いから一緒に買って、次は幼稚園に持っていくスモッグの装飾(しなくてもよいのだが、他の子は可愛い装飾をしていることが多いので、なんかやってあげたい気になっている)に使うアイテムを裁縫屋さんで一緒に買った。

夜は、幼稚園の夏休みカレンダーの思い出を描くページに長女が絵を描くのを口で指導しながら見ていた。よく特徴をとらえて、それなりのものを描けるようになったと感心した。気になったのは、レゴランドで作ったブロックのカニの絵を描いたあとで、ドリーの絵を描くときに、紙面はまだいっぱい空いているのに、比較的狭めのカニの下に描いたことくらいだろうか。

次女は、お姉ちゃんのカレンダーに絵を描こうとしてお母さんに怒られて泣いたり、他の紙に絵を描いたりしていた。ふと、次女と長らく公園に行っていないなと思う。24時間365日一緒にいた長女のときに比べると、楽にはなったけれど、一緒に1日をゆっくり過ごすことが少ないなぁと気づく日々だ。今度、空いている日に、一緒に公園に行きたいなぁと思う。

さぁ、日英翻訳チェックをこれからやるぞ。ちょっとずつだけど、新たな道に踏み出していきたい、残暑が厳しい夏の終わり(でも、少し秋も感じる矛盾)。