翻訳にミスはご法度な理由

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最近わたしがつれづれと考えていた「翻訳に関する仕事において、見直しをしてミスを無くさなければいけない理由」について、なんとなく自分なりに考えていたことがありました。

端的に言うと、「読者に内容にフォーカスしてもらうためには、ミスは単なる邪魔ものだから」というものです。

特に、誤字脱字系のミスって、些細なことのように思えるし、ミスした側からすると、「なんだそんなことか」と思ってしまう場合もあると思うのですが(わたしも正直そう思いがちでした)、実はそれがあると、読者には本当にフォーカスしてもらいたいところにフォーカスしてもらえないという弊害が発生すると、わたしは思っています。

昔、会社に入社したばかりの頃、わたしは打ち合わせの議事録をとにかくいっぱい書いて先輩に赤を入れてもらっていました。先輩には「とにかく3回は見直しなさい、1回目は全体的なところ、2回目は文章の意味、3回目は誤字脱字などのチェック、というように視点を変えて見直しすることが重要だよ」と言われていました。

あの頃は、そもそも、ITのことがさっぱり分かっていなかったので、そもそもの打ち合わせの意味が理解できず、とにかく自分がメモしたり理解した範囲で意味の通る議事録を書くのに精一杯だったので、誤字脱字とか細かいことを注意されるのが嫌でした。いや、そもそも、話の意味が分からないから日本語変になっちゃうし、誤字脱字とかの問題ではないんです…と心の中でボヤいてました。でも、今になって思えば、あの頃、せめて誤字脱字系のミスさえなければ、もっと本質的な会議の話の内容とかについて、先輩から教えてもらえたのかもなぁと思います。

そして、それなりにITの知識も増えて、色々理解ができるようになった頃には、入社の頃先輩に言われたことを守って、見直しをしっかりやってお客様にも完璧な資料をだせるように努めていたのですが、ミスがない資料というのは、それを読む側のお客様からもどうでもいい指摘を受けることもないし、何よりも、本当に伝えたい話の本質をできるので、大切なんだなぁと実感したりしていました。

今の翻訳の仕事では、ミスがある翻訳物っていうのは、結局レビューアが修正します。しかも、それを修正するときは、「こんな些細なミス、誰でもあるよね」なんて思ってくれない。「あ、この人ちゃんと見直ししてないな…てことは、まだこれ以外にもいっぱいあるかもしれない…気をつけよ!」となります。そうすると、残念なことに、もしその翻訳者が素晴らしい表現を使っていたとしても、そこ以外のところに注意がいってしまうこともあります。

つまり、一見些細なことに思えるミスというは、結局誰かの負担になり、結果的に、その文書で伝えたい本質的なことが、読者に伝わらない(もしくは、評価して欲しいとろが評価してもらえない)可能性が高くなるので、なくした方がいいと思う、ということでした。

いや、メールとか備忘録的な議事録とかは別に誤字脱字とかあってもいいと思う…というか、仕方ないと思うんだけどねぇ〜

いや、自分の納品物も、未だにほんとにミスがないように見直せてるか、不安ではあるんですけどね>_< うーん、自分に厳しくならないと。。 ほんと…。。