翻訳者としての適性

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1月1日、2014年の幕開けと同時に、布団の中からiPhoneで、翻訳者ネットワークのアメリアに入会申し込みをしました。以前より気になっていたIT翻訳をされている高橋聡さんのブログで、2014年1月から1年間、アメリア会員向けの雑誌で、「帽子屋の翻訳十二夜」というタイトルのコラム連載をされると知り、アメリア入会を本気で検討していたわたしの肩はその事実に押されて、2014年1月になった時点で、エイヤっ!とWebページでクリックして必要情報を入力して、入会申し込みをしたのでした。

先日、わたしは、翻訳者になって間もないくせに、早くも外の社会で働きたいなどとほざいたわけですが(翻訳は社会に貢献できる重要な仕事だと思います。わたしが言いたかったのは、在宅という勤務形態ではなくて、もう少しITに直接触れられる会社という世界に入りたい、という意味が含まれていました)、何年も翻訳業界で活躍されているプロの翻訳者からすれば、「何言ってんじゃ、このヒヨッコ、こんなヤツすぐ消えて当然。話にならんわ。」と思われた方もいらっしゃたのでは、と思っています。そう感じられた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

翻訳のお仕事もまだ始まったばかり。わたしは翻訳の面白さなんて、まだこれっぽっちも分かっちゃいません。もっと、翻訳の勉強をしたいという思いもあるのです。ただ、自分は本当に翻訳が好きなのか、翻訳者としての適性があるのか(特に表現力という点で、素晴らしい訳文を紡ぎ出せる能力があるのか)、疑問があるのも事実です。

思い出すのです、会社にいた頃の仕事が面白かったという記憶を。営業と一緒に打合せに行って、お客様の要望を聞いて、それにあったインフラ基盤を構築する。当時は自分が担当する部分なんて、全体から見たらちっぽけな部分だった気もしていたけど、今思えば、様々はシステムが稼働する、重要なインフラ基盤でした。

何がなんやら訳わからない技術文書も、実際にソフトウェアを検証したり、お客様のシステムに導入する経験を通して、肌で理解していく感覚がありました。やはり、読んだだけでは分からないことがいっぱいある。やってみてはじめてその情報が活きた情報として頭に入ってくる、それは、会社に入って学んだ生きた知識でした。

そんな生きた知識を肌で学べる会社の仕事は、本当に面白かったのです。

それでも、わたしは会社を辞める決意をしました。それには、自分の中でも会社の中の自分に行き詰まるものも感じていたし、妊娠して、子育てがどんなものか想像がつかなくて、専業主婦だけど家で添削や個人塾の先生などの仕事をしていた母親の影を追って、子育てを優先しやすそうな職業で、英語も仕事にできて、且つ、SEの経験も活きそうな仕事に挑戦してみようと思ったこともあります。

でも、もし、自分がもう少し人間的に大人だったら、会社を辞めることもなかったのかな、という思いがあるのも事実です。

もっと広い心でイライラばかりせずに仕事ができていたら、もっと周りの人の状況を読んだ上で自分の意見を押し通すワガママさがなかったら、もっと会社での良好な人間関係が築けていたら、あんな風に仕事に熱くなっていたわたしが、周囲を驚かせて突然辞めることもなかったんじゃないかと、自己を振り返るときがあります。

もしかしたら、外の社会にでたいなんて思うのも、あの頃会社を辞めた時の反省や後悔からきているのかもしれません。

翻訳という仕事、それは、やはり子育てとの両立は比較的しやすいし、気ままな働き方は自分に合っているなと思うときもあります。

でも、何か物足りなさを感じるのは、なぜなのでしょうか。

翻訳者としての適性がないから?本当は、他の仕事をしたいと思っているから?翻訳の面白さをまだ分かってないから?

特定の狭い分野で、ミスの少ない当たり障りのない訳文を提出するだけじゃ、ただの使い回され、使い古され、最後はその分野の需要がなくなったら役に立たなくなる翻訳者になってしまうかもしれません。

もし、翻訳をこれからもずっと続けるとしても、IT分野の専門性を活かした、他の人にはできない翻訳ができるようになりたい。もし、翻訳を辞めるとしても、IT業界のどこかには足を突っ込んでいたい。

なぜ勉強するのか。それは、自分の専門性を高めたいからです。

その向かう先に、翻訳業界があるのか、もしくはどこか他の仕事があるのか、現時点では分かりません。

こんなわたしが翻訳業界で仕事をすることをお許しください。

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ふと、そんなことを帰省渋滞の車の助手席でブログに書きたくなって、書いてみました。

お目汚し、失礼しました。