冷静と情熱の間で。

冷静と情熱の間で。
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冷静と情熱の間に必要なもの、それは確かな知識に裏付けされた、広い視野ではなかろうか。何を突然、という感じなのであるが、ここのところ自分の進路についてあれこれ考えていて、旦那さまにも考えていることを話したりして、ふと、そう思った、という話だ。

なぜか、今回の投稿は「である」調なのであるが、それはたぶん、先日受けたトライアルの結果が昨日返ってきて不採用だったため、自分の今の位置を再認識して、気が引き締まる思いをしているからではないかと推測される。

今回のトライアルは、結果についての問い合わせには一切答えてくれないそうなので、あっさり不採用の通知を受け取っただけで、理由を聞くこともできず、漠然とトライアルに不合格だった理由を考えているのだが、やはり表現力という点で至らないところがあったか、どこかに英語の解釈間違いがあったか、もしくは自分の気づかないミスをしていたかではないかと考えている。

先日、娘の保育園を今後辞めると決意していたのもあって、最低労働条件とかもないわけだし、仕事が増えなくても特に生活上支障はないわけで、今回のトライアルの結果を、冷静に受け止めている自分がいるわけであるが、仕事に情熱を燃やしていた頃の自分から考えると、「あの頃の情熱はどこにいったんだろう?」という状態であるのも、事実ではある。

かといって、会社にいた頃の自分の情熱は、かなり空回りしていたのもあり、あの頃は冷静さが足りなかったという反省も蘇ってくる。

そうだ、IT分野の翻訳の仕事をしようと思ったのは、翻訳という仕事を通して、知識を増やして視野を広げて、もう一度、自分と仕事の関係性を見直してみようとあの頃考えたからであった。

現在、実質1社の翻訳会社から受けている翻訳や翻訳レビューの仕事を通して、あの頃自分が考えたように知識を増やして視野を広げられているかというと、それなりにできてはいるけれど、やはりまだソフトウェアのUIやヘルプの翻訳やレビューが大半を占めているので、その視野の幅は思ったより狭い。

もっと、翻訳できるドキュメントの範囲が広がればまた違ってくるのかもしれないが、今の自分には今回のトライアルに落ちたことも含めて考えると、そのようなドキュメントを仕事レベルで翻訳するには力不足なのである。

だからこそ、翻訳自体の勉強と、IT分野の勉強がまだまだ必要なのである。

だから、わたしは今は勉強に重点をおきたい。

ただ、翻訳の仕事をこれからも続けたいのかというところには、いささかの疑念もある。自分の日本語のボキャブラリーの貧困による表現力のなさにも、翻訳者としての将来に不安を感じるし、在宅仕事という形態にも、自分に合っているのか疑問があるところもある。特に、娘を保育園に預けて仕事をしているとき、昼間に中だるみして眠気が襲ってきて昼寝をしてしまったときなどに、自分に対する軽い失望感というか残念感が残ったときは、その疑問が大きくなるときであった。

しかし、何はともあれ、多少仕事に関する刺激は少なめな日々ではあるが、多少なりとも仕事を頂けて、勉強によって知識の幅を広げるチャンスがある今の状況は、わたしにとってのベストな環境であろう。

娘との日々に疲れ切って寝てしまわずに、お仕事がないときは少しでも勉強して、これからの仕事の可能性を広げる努力をする。それが、今のわたしにできることだ。

そんなことを考えながら、仕事に対する情熱と冷静の間で、娘とのやわらかい日々を送っている。

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